佛教大学 総合演習 レポート A判定

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    資料紹介

    選択テーマは「国際理解教育」です。
    2009年度作成の物です。

    おそらく「総合演習」は初期のスクーリングで受講する方が多いのではないでしょうか。
    最初はどう書いてよいものかわからないという状態だと思われます。
    一つの雛形として、参考にしてもらえればいいと思いまして全体公開にしました。
    (ただし、2010年度~はテーマが変わっているかも…その点ご理解の上で活用してください)

    ちなみに…話はそれますが、
    文中に「日本がアジア諸国を植民地化(テキスト引用)」云々とありますが、
    日本のそれは欧米と同価値の植民地化ではないことを断っておきます。
    っていうか、大東亜共栄圏構想は植民地化ではないです。
    皆様が外国から押し付けられた自虐史観ではなく、
    自分で調べて自分なりの歴史認識をお持ちになることを願っています。
    (結果、植民地化したという結論ならばそれはそれでいいと思います)

    資料の原本内容

    「国際理解教育について述べよ」
    明治時代に突入し、それまでの鎖国状態に終止符が打たれると、様々な外国文化が流入するようになった。しかし、それは同時に日本が諸外国の植民地となる危険性を孕んでいた。そのため、日本では国際化を目指す動きが加速することとなり、同時にそれは教育の分野にも波及した。第一次世界大戦後の国際連盟成立後、教育現場では国際理解が行われたが、当時の国際理解とは、当時の列強であった欧米理解を意味しており、欧米の価値観に基づいた教育思想や実践という欧米崇拝の国際理解教育に終始した結果、アジア蔑視という国際理解を生み出してしまった。その後、日本がアジア諸国を植民地化した歴史は、今日においても日本に対するアジア諸国の不信感を拭い去れないでいる。
     第二次世界大戦が終焉を迎え、敗戦国となった日本は従来の国際理解教育に限界を感じ、欧米だけに限定されない「世界」を見据えた国際理解教育、つまりはユネスコ憲章の精神に則った国際理解教育へと転換した。しかし、転換直後における国際理解とは、国家間・国民間の関係改善に主眼が置かれたものであり、また、「異文化を知る」という漠然としたものであったケースも多く、被教育者個人の課題として受け止められないまま教育現場での実践が進められたこともしばしばであった。
     しかし、留学や海外への出張など、頻繁に海外への行き来が可能となった近年においては、個人レベルにおける国際理解が求められるようになってきた。
    このように、国際理解教育はその時代に応じて単なる欧米志向の皮相的憧れから、平和を希求する熱い眼差し、さらに自分の身の回りの異文化理解へと変化を遂げてきたが、過去の実践から学び変化してきた中で、徐々にではあるが国際社会における相互理解へと主眼が移行していることが読み取れる。
    それでは、言語・文化や思想・宗教などの異なる者同士が相互理解し得る国際理解教育とはどのようなものか。そもそも異なる者同士の相互理解には「違いを承認する寛容さ・忍耐力」が不可欠である。この「違い」を客観的に見つめ・承認するためには、相手を知るのみならず自己を知らねばならない。よく、自分というものをしっかりともつことが重要だと説かれるが、自分をよく理解している人は安易に他者に流されず、冷静に他者をみつめることができる。ただし、自己理解とは他者の存在なくしてはありえない。人は、自己を通して他者を知り、また、その他者という環境を通して自己を知るのである。この観点から、国際理解がただ単に他国(他者)理解にとどまっていては真の相互理解は成しえない。真に相互理解に至るためには、「他国(他者)の文化や歴史・伝統を知り、学ぶことを通じて、自分達の文化や歴史・伝統を相対化して見つめなおし、他者との共通点及び相違点を客観的に分析し、そこから自己理解に至る」という、単に他者を知ることから一歩進んだ目的を、国際理解教育は明確に保持しなければならないのである。
    このような目標に照らし合わせると、教育現場においては披教育者が受動的に参加する、単に知識として違いを捉えるのではなく、披教育者自身の主体的な参加、つまりは自身のこととして違いを捉える姿勢が求められるのである。
    ここまで、国際理解を主に異なる国家・国民間で見てきたが、人と人との違いは国家・国民間に限定できないことは明らかである。端的に言えば、例えば男と女、老人と若者といったように、同じ国の中でも違いは存在するし、ましてや個人で見ると全く同じ人間など一人もいないのである。つまりは、違いを承認し、相互理解することを目指す国際理解教育は、多様性溢れる社会における人間の付き合い方の本質を具現化するものなのである。
    (参考文献)
    田中圭冶郎 「総合演習の基礎」 2004 佛教大学通信教育学部
    井上智義
    「異文化との出会い(子どもの発達と心理)~国際理解教育の視点から~」
    2002 ブレーン出版
    種別:集中Ⅱ 担当教員名:田中 圭治郎
    講座コード:S06340 講座名:総合演習 クラス:B
    1
    学籍番号: 氏名:

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