ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。
ジョン・ロックは1632年、イングランド西南部サマセットシャーでジェントリの家に生まれる。ウェストミンスター・スクール、オックスフォード大学クライスト・チャーチで学業を修する。若い頃から医学に感心を持ち、その中で実証主義・経験主義の学問精神を学び取る。1675年医師となる。1683年、政争に巻き込まれ、オランダへ亡命。アムステルダムに住む。1688年、英国で名誉革命。翌年、女王メアリと共にイングランドへ帰国。「権利章典」の作成に協力する。1704年10月28日死去。著作に『寛容に関する書簡』(1689年)『人間知性論』(1689年)『政治論二編(市民政府二論)』(1689年)『教育に関する考察』(1693年)などがある。
タブラ・ラサというのは、「空白の石板」という意味で、ジョン・ロックが生まれたばかりの人間の心の状態を指して使った言葉である。人間の知識は経験を通じて得られるものであり、何も経験していない段階では心は白紙の状態だというのだ。この考えに従えば、子どもは生まれた時はまだ何の観念も持っていないという...