学習指導要領の変遷について
第2次大戦後、日本はアメリカGHQの指導の下で急速に民主化を進めていく。明治維新によって作られた大日本帝国憲法や教育勅語は、それぞれ日本国憲法と教育基本法に改められた。こと教育に関しては、将来の日本を背負って生きる子供たちが対象なので、GHQも特に注意を払った。教師がいつまでも天皇は神だと信じていたため、子供たちに象徴であると伝えることがなかなかできなかったという話を聞いたことあるが、この時期の教育はまだまだ不安定だったというのは想像に難くない。
そんな混乱期の昭和22年に、教師のための「手引き書」として学習指導要領が作られた。「試案」の文言が付されているように、授業をする際の参考にするもので、具体的な裁量権は各学校や教師にあった。内容は、戦前の教科をおおむね引き継ぎながら、小学校では社会科と自由研究が新設され、家庭科が男女共修となった。中学校では職業科(農業・工業・水産・商業・家庭)が新設され、生徒は1から数科目選ぶことができた。
昭和26年に学習指導要領が改訂される。自由研究が小学校では「教科外の活動」、中学校では「特別教育活動」となる。また、中学...