『舞姫』の「本当に提出した問題」について。これは明治の新しい社会に生まれた青年たちだけの問題でなく、現代に生きる私たちにも関わりのある問題だ。人間は社会で成功して生き行くためには卑怯さも必要なのか、ということである。豊太郎は社会的地位を得たのと引き換えに「自分自身にたいする不信の念」を抱き続けていかなければならなくなった。また、『浮雲』の文三は豊太郎に反して能力はないが、真っ直ぐな青年であった。しかし実社会の生活で昇に敗れてしまう。同じ問題を、鴎外と二葉亭は違う切り口で描いている。そこで、これから『舞姫』での豊太郎が理想と現実の間で苦悩する弱さや哀しさ、また葛藤について考えていきたい。
「足の運びのはかどらねば、クロステル街まで来し時は、半夜をや過ぎたりけむ。ここまで来し道をばいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル・デン・リンデンの酒家・茶店はなほ人の出入り盛りにて、にぎはしかりしならめど、ふつに覚えず。我が胸中にはただただ、我は許すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。」
この『舞姫』の本文は豊太郎が大臣や相沢の要請を承諾した後のシーンである。まさに豊太郎の葛藤についてであり、この小説のテーマである。許すべからぬ罪人という言葉に豊太郎の苦悩がうかがえる。それは決して仕事と恋愛という単純な二つの選択肢をとって決めかねていたのでなく一度は帰国を決断したにも関わらず、エリスを純粋に愛する気持ちがある故、どう伝えるべきかに苦しむ豊太郎の弱さであり、誠実さではないだろうか。人間が誰しも経験する葛藤いうテーマだからこそ豊太郎の苦悩がリアルに感じられるようにも思う。心の葛藤は、形や種類はそれぞれ違ったとしても時代を超えて誰にも存在し続ける、普遍のテーマだと強く感じているからだ。
国文学史Ⅲ(近代)Aレポート
『舞姫』の「本当に提出した問題」について。これは明治の新しい社会に生まれた青年たちだけの問題でなく、現代に生きる私たちにも関わりのある問題だ。人間は社会で成功して生き行くためには卑怯さも必要なのか、ということである。豊太郎は社会的地位を得たのと引き換えに「自分自身にたいする不信の念」を抱き続けていかなければならなくなった。また、『浮雲』の文三は豊太郎に反して能力はないが、真っ直ぐな青年であった。しかし実社会の生活で昇に敗れてしまう。同じ問題を、鴎外と二葉亭は違う切り口で描いている。そこで、これから『舞姫』での豊太郎が理想と現実の間で苦悩する弱さや哀しさ、また葛藤について考えていきたい。
「足の運びのはかどらねば、クロステル街まで来し時は、半夜をや過ぎたりけむ。ここまで来し道をばいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル・デン・リンデンの酒家・茶店はなほ人の出入り盛りにて、にぎはしかりしならめど、ふつに覚えず。我が胸中にはただただ、我は許すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。」
この『舞姫』の本文は豊太郎が大臣や相沢の要請を承諾した後の...