今回自分は『草の花』のテーマの一つである「死」について考察していきたい。勿論『草の花』は愛情や友情といったテーマも兼ねている(寧ろ其方のほうに重点がある)が、自分にとってそれは非常に重く、また経験も微々たる物であるため、考察の水準が低くなってしまうことを恐れ、まだ大多数の人間が経験の少ない(?)「死」について取り上げることにした。
この話は汐見という青年と藤木という青年の儚い友情と愛情の物語である。汐見という青年は潔癖であり潔癖が妥協を許さないがため、青年はどんどん孤独になっていくのである。その孤独の中で考えていたことが愛や信仰、そして死についてである。この話の中の随所に死に関しての言及がある。
p11「あの看護婦は生きているんだ」「(前略)死の火影の廻りを飛び交う蛾の如し」(汐見)
p37「(前略)自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、全てが燃え滾って満ち溢れるようなもの、それが生きることだ。」→「眩暈のような恍惚感」
p52〜57「人はすべて死ぬだろうし、僕もまたそのうち死ぬだろう(中略)人はそれをいつであるのか予め知ることが出来ないから、安んじて日々の生活の中に、それが生きていることだと暁ることもなし…」
「『草の花』における死について」
今回自分は『草の花』のテーマの一つである「死」について考察していきたい。勿論『草の花』は愛情や友情といったテーマも兼ねている(寧ろ其方のほうに重点がある)が、自分にとってそれは非常に重く、また経験も微々たる物であるため、考察の水準が低くなってしまうことを恐れ、まだ大多数の人間が経験の少ない(?)「死」について取り上げることにした。
この話は汐見という青年と藤木という青年の儚い友情と愛情の物語である。汐見という青年は潔癖であり潔癖が妥協を許さないがため、青年はどんどん孤独になっていくのである。その孤独の中で考えていたことが愛や信仰、そして死についてである。この話の中の随所に死に関しての言及がある。
p11「あの看護婦は生きているんだ」「(前略)死の火影の廻りを飛び交う蛾の如し」(汐見)
p37「(前略)自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、全てが燃え滾って満ち溢れるようなもの、それが生きることだ。」→「眩暈のような恍惚感」
p52~57「人はすべて死ぬだろうし、僕もまたそのうち死ぬだろう(中略)人はそれをいつであるのか予め知ること...