私が一番興味をもった詩は、760年から765年にかけて、杜甫が成都の西公害の浣花草堂にて比較的穏やかに居住した際、その生活を援助し続けぼうしゅうの高適にあてた詩である。初めて前後の経過を考えず市のみを読んだ時、非常に安易な表現だが、図々しい印象を受けた。旧友に自分の生活を援助してもらうことだけでも恐縮だが、「いつになったら助けに来てくれるのか」と催促までしている。詩聖とまで呼ばれた人間のあまりにも単刀直入さに驚いた。しかし考えてみると、この詩は、人間「杜甫」を垣間見得るものでもある。苦労人で人間味ある杜甫ならではの詩であるともいえよう。また、救援を求める方法として、詩を送るということも考えてみると、杜甫の知的さ、高適に寄せる信頼度の高さも感じ取ることのできる詩であるように思う。
私が当初抱いていた杜甫のイメージとは、科挙の試験に何度も挑戦し、そのたびに失敗を繰り返すが、毅然として、ひとり草堂に籠って生涯を送ったというものだったが、前の詩からも見受けられるように、高適や厳武、いとこたちに援助してもらい、いつも人と繋がりのある親しみやすい人のように感じた。
杜甫の詩について
私が一番興味をもった詩は、760年から765年にかけて、杜甫が成都の西公害の浣花草堂にて比較的穏やかに居住した際、その生活を援助し続けぼうしゅうの高適にあてた詩である。初めて前後の経過を考えず市のみを読んだ時、非常に安易な表現だが、図々しい印象を受けた。旧友に自分の生活を援助してもらうことだけでも恐縮だが、「いつになったら助けに来てくれるのか」と催促までしている。詩聖とまで呼ばれた人間のあまりにも単刀直入さに驚いた。しかし考えてみると、この詩は、人間「杜甫」を垣間見得るものでもある。苦労人で人間味ある杜甫ならではの詩であるともいえよう。また、救援を求める方法として、詩を送る...