狩野永徳は洛中洛外図を本当に描いたのか?
上杉本洛中洛外図は米沢藩主上杉家に伝わったもので、洛中洛外図の中でも傑作とされ、国宝に指定されている。描かれた景観から瀬田勝哉は注文主を足利義輝と推定し、完成は1565年と言い及んだ。最近まで信長が狩野永徳に命じて描かせたものと考えられていたが、屏風の注文主を足利義輝とし、義輝死後に信長が入手して1574年に上杉謙信に贈ったものとする解釈が有力であるとされる。『洛中洛外図』を描いたのは狩野永徳と言われているが、しかし中世史研究家の今谷明の「永徳は洛中洛外図を描いてはいない」という説を発表した。この説に注目し私の持論を展開する。
今谷氏の挙げる永徳否定の理由は大まかに3点である。①臨場感溢れる作品が果たして粉本のみで描くことが出来るか疑問な点②上杉家の所有していた「上杉家什宝目録」「上杉年譜」「北越軍記」「北越家記」が記されたのは比較的近代での信憑性が無い点③永徳作品の中の人物描写があまりにも違いすぎるという点、である。
まず、最初の指摘であるが、永徳の少年期まで遡ると背景が見えてくる。永徳は狩野元信の孫にあたり、幼いときから『狩野家のホープ』と...