賀茂祭は華麗な王朝絵巻を見るような伝統行事であるが、この祭に纏わるシーンが日本古典文学ではどのように描かれていたか、いくつかの作品を通して述べてみたい。
この賀茂祭が行われる賀茂神社は、もとはこの地域で勢力のあった秦氏が斎き祀ったものであった。『有職故実(上)』によると平安京遷都後、この神社は「平安京の城隍神に当たるものとして朝廷の崇敬せられた」とある。このことより、弘仁十年(八一九)から中祀として、賀茂祭は扱われるようになった。
また当時天皇であった嵯峨天皇(七八六~八四二)が、平城上皇との関係が悪化した際に賀茂神社に祈願したところ感応があり、斎王の制が立てられたと言われている。斎院は賀茂神を降臨させる神迎えの儀の前に、賀茂の御手洗川で御禊を行う。この斎王の御禊が、賀茂祭の前の午の日、又は未の日に行われていた。
この御禊の行列の模様は『源氏物語』「葵」巻の、車争いのシーンでよく知られている。
物語では斎院に供奉する上達部達に、いつも以上に人望があり容貌も優れた方々が選ばれ、その上あの源氏が特別に帝の宣旨により加わることになった。その為、貴族だけでなくただでさえ一般人や...