公家と武家の年中行事の類似点と相違点を述べる前に、そもそも公家と武家の違いはどういうものなのかを考えてみたい。
村井康彦氏によると「平清盛も源頼朝も、もとを辿れば賜姓皇族であり、つまりは貴族であったように、公家と武家とはルーツを同じくする同根の存在であった」とある。(参考文献①五頁)
貴族は「みやこ」に集められそこに住むことで、官人となり豪族から貴族となった。その中から九世紀頃より、地方に所領をもち生活基盤の一部をそこに盛った者達が武者と呼ばれるようになり、貴族と区別されたと考えられている。また双方の区別は都と田舎という距離間の問題だけでなく、武者はまさに侍としての殺業を行っていたことも含まれる。武力を持って、摂関家に使役される存在、それが平安時代の武者であった。
財政が悪化して軍事的緊張が高まった院政期には、武技を専門の家業として代々受け継いでゆく本来の武士と発展した。この武士の系統の団体を武家といい、それに対して貴族を公家と呼んだ。
以上から解るように武家は公家を起源に登場しており、相互の境界は不分明であるともいえる。
時代が下って武士が政権を握るようになっても、...