ヤーコプがウィーン会議とドイツ国民議会で抱いた理念

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    グリム兄弟の兄、ヤーコプ・グリム(1785~1863)は言語学者として研究に従事する一方で、外交官としてウィーン会議の随行員やフランクフルトの第1回国民議会の代表員になって活躍した。

     この二つの議会の参加で彼が述べた意見より、一貫した彼の信念を伺うことができる。

     まず1815年にカッセルで公使館秘書をしていたヤーコプは、ヘッセン代表団の一人としてウィーン会議に出席するが、この会議はとてもヤーコプが望むような内容ではなかった。

     この会議はナポレオン戦争のヨーロッパの新体制を検討することが目的の会議であったはずだった。しかし実際は各国の思惑が錯綜し、互いに有利な条件であるように裏取引が行われていたのだった。

     ドイツに関しての議定書では「分裂していたドイツの35の領邦国家と4つの自由都市はドイツ連邦と作る」とあり、ドイツの統一からは程遠い「ドイツ連盟」が設立されてしまった。

     これに失望しドイツ統一を望んでいたヤーコプはヴィルヘルムに不満の手紙を送っている。その後も、ドイツの政治新聞「ライン・メルクール」を主宰する友人のヨゼフ・フォン・ゲレスにも以下のような内容の原稿にして...

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