十八世紀後半から十九世紀前半、イギリスでは多くのロマン派詩人が誕生した。フランスと違い立憲君主制であったイギリスでは、国家を揺るがす程の勢力にはならなかったロマン主義であるが、逆にそれが多彩な才能を生み出す原因になった。
そのロマン派の第二世代の一人、パーシー・ビッシュ・シェリー(一七九二~一八二二)はこのロマン主義という時代を背景にまさに「詩人」として生きた貴重な人である。
この激動の様相を、彼は革命的な思想を持ちながらも非世俗的に描きだすだけの、教養の高さも持ち合わせていた。しかし将来が約束された上流階級の出身でありながらも、何事も突き詰めて考えずにはいられない彼は、敷かれたレールをすんなりと進むことができなかった。そんな性格が、彼の人生を波乱に満ちたものとさせる要因になったのである。
自らのいじめられた経験も重なり、彼は権力に対して反抗心を抱くようになる。その後文学少年であった彼は、早くからギリシャの古典や後妻の父・ウィリアム・ゴドウィン(一七五六~一八三六)の『政治的主義』などを読み学識を深めた。
大学一年の時に彼が発表した『無神論の必然』は、キリスト教そのものを否定す...