成瀬仁蔵と女子教育

閲覧数1,544
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    タグ

    代表キーワード

    成瀬仁蔵と女子教育

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    成瀬仁蔵と女子教育
    Written by Koshiro
    はじめに
     今回このテーマを選ばせていただいた理由は、明治という時代に女子高等教育が実現した背景と、それを実現させた人物である成瀬仁蔵という人物に興味を抱いたためである。なお、引用部は原典に忠実な表記を用いており、多少読み難い箇所もあるがご容赦いただきたい。
    1,生い立ち-教育者・成瀬仁蔵の誕生-
     成瀬仁蔵は1858(安政5)年6月23日、現在の山口県山口市吉敷に成瀬小右衛門と歌子の間に武家の長男として生まれた。吉敷は長州藩主の一族吉敷毛利家の領地であり、成瀬家は代々その祐筆をつとめる家柄で、漢学の素養が深く、教育家の家として地元では有名であった。幼少の頃は藩校の郷校憲章館で学んだが、特に長州という土地柄もあって、幕末の動乱を横目に見ながら育ち、その後明治維新の改革で禄を失った父の家塾を手伝った後、山口県の教員養成所で学び、卒業後、小学校教員となった。
    以上の通り、幕末・維新の動乱期において、長州出身であることがどれほどの利になったかは想像に難くないが、それに加えて、いわば「教育の名門」の家庭に生まれたことが、成瀬の人生を方向...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。