日本の戦後はよくドイツ(正確には旧西ドイツ)と比較される。それは、戦前戦中は同じようなファシズムの国であり、同盟を結んで侵略を続け、戦後は同じ敗戦国として底辺から出発したにも関わらず、ドイツは「過去」の反省を徹底的に行い周辺国とも良好な関係を維持しているのに対して、日本はまったくその逆だからである。ドイツのシュミット元首相はこのように言っている。
日本人と欧米人との最大の違いは、歴史の重要性を理解していないことだ。例えば、欧米で一流の政治家になろうとしたら、自分の国と世界の歴史に対する認識を明確に示さなくてはならない。ところが、日本では歴史をまともに学んでいない政治家があまりにも多い。
まさにその通りなのだが、ではなぜ戦後西ドイツは「歴史の重要性」を理解し、国際的にも評価されるような「過去」の反省を行うことができたのであろうか。実はそこには教科書が関係していたのである。
1949年、ドイツは東と西に分裂した形で独立し、その後西ドイツは冷戦構造の最前線として非常に強固な反共主義の立場をとるようになる。この時期は、「歴史の重要性」について考えている状況ではなかった。しかし、1969年に革新派の社会民主党が政権をとり、首相になったヴィリー・ブラントは東ドイツも含めたソ連を中心とする社会主義国家との和解を目指した「東方政策」を発表する。その際、ポーランドの対応を重く受け止めなくてはならなかった。ドイツは過去にナチスによってユダヤ人300万人を含むポーランド人を600万人も虐殺していたからである。
そのポーランドを訪問したブラントは、ユダヤ人ゲットー跡の慰霊碑にひざまずき、うなだれた。ドイツは罪を認め、その姿はポーランドだけではなく、世界中に衝撃を与えた。ヨーロッパでは100年前から、ひざまずくことは謝罪を表す最も強い表現だという。
西ドイツと日本の戦後処理の違いについて
日本の戦後はよくドイツ(正確には旧西ドイツ)と比較される。それは、戦前戦中は同じようなファシズムの国であり、同盟を結んで侵略を続け、戦後は同じ敗戦国として底辺から出発したにも関わらず、ドイツは「過去」の反省を徹底的に行い周辺国とも良好な関係を維持しているのに対して、日本はまったくその逆だからである。ドイツのシュミット元首相はこのように言っている。
日本人と欧米人との最大の違いは、歴史の重要性を理解していないことだ。例えば、欧米で一流の政治家になろうとしたら、自分の国と世界の歴史に対する認識を明確に示さなくてはならない。ところが、日本では歴史をまともに学んでいない政治家があまりにも多い。
まさにその通りなのだが、ではなぜ戦後西ドイツは「歴史の重要性」を理解し、国際的にも評価されるような「過去」の反省を行うことができたのであろうか。実はそこには教科書が関係していたのである。
1949年、ドイツは東と西に分裂した形で独立し、その後西ドイツは冷戦構造の最前線として非常に強固な反共主義の立場をとるようになる。この時期は、「歴史の重要性」について考えてい...