ルソーの自然主義教育、ヘルバルトの教授法

閲覧数6,733
ダウンロード数10
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     自由主義教育思想が登場するまで知識の流入に主眼がおかれ、思考法でも既成のものを覚えるだけで生徒が精神陶冶する余地はなかった。それに対してルソーは生徒の活動を中心にそれを教師が援助することに視点を置いたことが注目される。ルソーの考えを導入するとしたら道徳教育にその効果は期待される。普段の道徳教育は大人から見た善悪を判断する教育が主であるが、ルソーは理性的判断ができるまではそれらの判断を扱う器官の感覚を洗練することに重点を置き、あれこれ道理を説明するのではなく、必然性をもって力による教育の必要があるとしている。確かに子供に道徳を口で説明しても理解する能力に欠けているので、例えば、薬品を口に入れようとした時に黙って力ずくで取り上げる、といったように本当に抑制が必要なときは手を施すべきだと思う。また、子供であっても社会の一員として社会生活を送っているので、自由奔放に活動してよいわけではない。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     ルソーの自然主義教育、ヘルバルトの教授法、問題解決学習を取り上げて述べる。
     自由主義教育思想が登場するまで知識の流入に主眼がおかれ、思考法でも既成のものを覚えるだけで生徒が精神陶冶する余地はなかった。それに対してルソーは生徒の活動を中心にそれを教師が援助することに視点を置いたことが注目される。ルソーの考えを導入するとしたら道徳教育にその効果は期待される。普段の道徳教育は大人から見た善悪を判断する教育が主であるが、ルソーは理性的判断ができるまではそれらの判断を扱う器官の感覚を洗練することに重点を置き、あれこれ道理を説明するのではなく、必然性をもって力による教育の必要があるとしている。確かに子供に道徳を口で説明しても理解する能力に欠けているので、例えば、薬品を口に入れようとした時に黙って力ずくで取り上げる、といったように本当に抑制が必要なときは手を施すべきだと思う。また、子供であっても社会の一員として社会生活を送っているので、自由奔放に活動してよいわけではない。ルソーは他人の所有権を認めることのみ実践を通した教育を示したが、実際はそれだけでなく交通規則やいじめによる人権侵害の問題など教...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。