豊島区ママさんバレーボールクラブ数の変遷

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    資料紹介

    ここでは豊島区のママさんバレーボールクラブについて、豊島区バレーボール連盟への加盟クラブ数という、量的拡大という観点で見てみたい。以下に豊島区のママさんバレーボールが昭和45年に正式種目となってからのクラブ数の変遷を表したグラフを提示する(図1)。なおデータは、2冊の豊島区バレーボール連盟発行の記念誌 から、拝借した。※印の年度については、加盟チーム数の記述がなかったため、リーグ戦の試合結果などから数値を算出した。年度によっては資料不足のため、チーム数を算出することができなかったことをご了承願いたい。
    図 1 豊島区バレーボール連盟加盟チーム数の推移
     まず始めに、昭和45年から正式にママさんバレーが競技化されたわけであるが、なぜこの時期に競技化されたのかについて考えてみたい。1972年(昭和47年)に『社会体育の現状―家庭婦人バレーボール―』を著した原田は昭和44年から46年にかけて12都府県のママさんバレーボールチーム190チーム、2879名へのアンケートを実施し、「チーム結成の時期について」の回答結果から以下のような考察を行っている。少々長い引用となるが以下に提示する。
     いわゆる「ママさんバレー」と云う言葉が使われるようになったのは、ごく最近であってそれ以前は婦人大会とか、PTA大会とか云う表現であった。又、O.Gが中心になってクラブを作り、ある時期において相当活躍していたチームなどがあったが、やはりこのようなチームが生まれた原因は東京オリンピックの刺戟以外にない事が云える。−中略−昭和39年以降急激に増え続けていき昭和43年のメキシコオリンピック期がピークとなっている、全体の87パーセントが東京オリンピック以降に結成されている。又、この後44年から45年にかけては、全国大会開催の連絡を受けて、各地方で結成されている。

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    豊島区ママさんバレーボールクラブ数の変遷
    ここでは豊島区のママさんバレーボールクラブについて、豊島区バレーボール連盟への加盟クラブ数という、量的拡大という観点で見てみたい。以下に豊島区のママさんバレーボールが昭和45年に正式種目となってからのクラブ数の変遷を表したグラフを提示する(図1)。なおデータは、2冊の豊島区バレーボール連盟発行の記念誌 から、拝借した。※印の年度については、加盟チーム数の記述がなかったため、リーグ戦の試合結果などから数値を算出した。年度によっては資料不足のため、チーム数を算出することができなかったことをご了承願いたい。
    図 1 豊島区バレーボール連盟加盟チーム数の推移
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