『エドガー・アラン・ポーとマーク・トウェインについて述べよ。』
エドガー・アラン・ポーは、アーヴィングやクーパーと同じ時代であり、旅役者の子どもとしてボストンに生まれた。父はその年に一家を捨てて失踪し、母も2歳で他界、リッチモンドの豪商、ジョン・アランの養子として引き取られ、7歳から11歳までを一家でイギリスで過ごした。
1826年にヴァージニア大学に入学するも、賭博と飲酒のため、莫大な借金を作り、養父ともうまくいかなくなり12月に退学させられた。14歳で友人の母親に恋をし、その思いを22歳で「ヘレンへ」という作品でうたっている。そして、大学を辞めてリッチモンドへ戻ると、婚約者がいたが、その婚約者が他の男のところに嫁ぐことになっていた。翌年、ポーはボストンへ行き、生活のために偽名で沿岸警備隊に入隊した。そこで最初の詩集『タマレイン』を出版し、2年後には『アララーフ、タマレインと小詩』を出版した。それから軍隊で仕事に励み、特務曹長にまで昇進した。ジョン・アラン夫人が亡くなり、いちどは養父と和解ができて陸軍士官学校に入学するが、そこでは1年ももたず、再びアラン家とは縁が切れてしまった。
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