ハイデッガーの存在論を説明するにあたって、まずはディルタイの生の哲学を説明する。それは彼の主張する生の「時間性」(歴史性)がハイデッガーの存在論に継承されたからである。哲学とは本来、生を研究する学問であるが、彼の生の哲学とは人間そのものを徹底的に考察しようとする試みである。中世において人間を考えるときは、神、すなわちキリスト教を通じて行われた。ルネサンス以後の哲学では、知、すなわち論理によって行われた。このような考え方とは異なり、人間を人間として直接に把握すること、それが生の哲学である。つまり、それまでのロゴス中心の人間観から、パトス中心の人間観へ、合理主義から非合理主義へと人間のとらえ方を変化させた。彼は人間の存在についてこう語っている。「人間が何であるか、それをわれわれは自己に就いての瞑想によって知るのではなく、また心理学的実験によって知るのではない。却って歴史を通じて知るのである。」生そのものの表現である歴史を通じて、生を追体験する。これにより、人間が人間を把握することができると説いたのである。このようなディルタイの生に対する考え方、言い換えれば「人間とは何か」に対する考え方が、...