日本国憲法は、国民と人類全体を惨禍にに落とし込んだ戦争と戦争を起こした政府の責任を深刻に反省し、「崇高な理想」(国民主権・平和主義・基本的人権の尊重)を掲げた。これらを実現するためには、戦前の制度や法令を変えるだけでは不充分であり、国民の思想や意識が変わらなければならず、国民の思想や意識を変えることができるのは究極的には教育しかありえない。では、どのような教育が必要なのか。
それは天皇と国民に忠誠を強いた教育勅語の教育目標を否定・批判し、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」目標とした教育である。さらに「普遍的にして、しかも個性豊かな文化の創造を目指す教育」を普及徹底しなければならない。それらを実現するために教育基本法は日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示し、新しい日本の教育の基本を確立するために制定されたのである。
教育基本法はこのような教育勅語の否定・批判と、「軍国主義的又は極端な国家主義的傾向をとるに至った戦前の教育を反省して、人類普遍の価値とでもいうべき平和と民主主義と個人の尊厳その他をその教育価値とする、という性格の他に教育憲章的性格及び教育憲法的性格を有している。
教育憲章的性格とは、教育基本法が教育に関する「基本的な法律」であることにもよるが、さらに第一条、第二条で教育の目的や方針などを相当詳しく謳っており従来の法律とは大きく趣を異にしていることが挙げられる。
教育憲法的性格とは、教育基本法には普通一般の法律よりも多少重い意味があるという意味である。それは教育基本法前文「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するために、この法律を制定する」、第十一条「この法律に揚げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない」と定めていることなどからも教育基本法が準憲法的性格を有し、他の教育令よりも上位の法律であることが理解できる。
教育基本法の今日的意義
日本国憲法は、国民と人類全体を惨禍にに落とし込んだ戦争と戦争を起こした政府の責任を深刻に反省し、「崇高な理想」(国民主権・平和主義・基本的人権の尊重)を掲げた。これらを実現するためには、戦前の制度や法令を変えるだけでは不充分であり、国民の思想や意識が変わらなければならず、国民の思想や意識を変えることができるのは究極的には教育しかありえない。では、どのような教育が必要なのか。
それは天皇と国民に忠誠を強いた教育勅語の教育目標を否定・批判し、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」目標とした教育である。さらに「普遍的にして、しかも個性豊かな文化の創造を目指...