私達は「家」の中で冬は暖かく、夏は涼しく快適に過ごすことができる。さらにホームセキュリテイや防犯カメラなどの普及で、安心して眠りにつくことができる。しかし安心とはなんであろう。強盗から家財を守ることだろうか。それとも夜風に当たり風邪を引かないことだろうか。もちろん生きていくうえでそれらのことは大切である。しかし真の安心とはそんなものではないのではないだろうか。辛いこと、悲しいことがあっても一緒にいるだけで癒され、勇気をくれ明日からまたがんばろう、と感じさせてくれる人がいること、自分を愛し、自分が愛する人々がいることこそが真に安心できるということなのではないかと思う。そしてその安心を得られる場所が夫や妻、子どもや親のいる家庭なのである。
昔から家庭は外的自然の破壊作用より、人間を守り、かつ眠りの安全性を確保するという機能を担ってきた。家庭が真に安全で安心できる「安らぎの空間」であるためには、そこに愛する家族がいることが必須条件であった。しかし、現在では「家族」と「家」が分離し、家庭の機能が失われてしまっている。もちろんすべての家庭がそうであるわけではないが、子どもの塾通いや父親の仕事の関係で家族がそろって夕飯を食べない。それぞれが自分の個室に閉じこもり本来家族が集うはずであったリビングはいつも閑散としている。携帯電話やテレビ、あるいはパソコンを持ち、自分だけの世界で生活して、家族との会話がない。などの風景が日常的なものとなってしまっているのではないだろうか。「家」が寝るだけ、夜風を防ぐためだけのものになり、「家族」という中身を失ってしまったように感じる。そしてそのことは子どもにどのような影響を与えているのだろうか。
家庭とは子どもにとって初めて出会う社会である。
子供と家庭
私達は「家」の中で冬は暖かく、夏は涼しく快適に過ごすことができる。さらにホームセキュリテイや防犯カメラなどの普及で、安心して眠りにつくことができる。しかし安心とはなんであろう。強盗から家財を守ることだろうか。それとも夜風に当たり風邪を引かないことだろうか。もちろん生きていくうえでそれらのことは大切である。しかし真の安心とはそんなものではないのではないだろうか。辛いこと、悲しいことがあっても一緒にいるだけで癒され、勇気をくれ明日からまたがんばろう、と感じさせてくれる人がいること、自分を愛し、自分が愛する人々がいることこそが真に安心できるということなのではないかと思う。そしてその安心を得られる場所が夫や妻、子どもや親のいる家庭なのである。
昔から家庭は外的自然の破壊作用より、人間を守り、かつ眠りの安全性を確保するという機能を担ってきた。家庭が真に安全で安心できる「安らぎの空間」であるためには、そこに愛する家族がいることが必須条件であった。しかし、現在では「家族」と「家」が分離し、家庭の機能が失われてしまっている。もちろんすべて...