まず、国際化の中での古典教育の意義から考えたい。古典を初めて学習するものにとって、古典はまさに外国語と同じであるといえる。だが、逆に外国語と同じという考え方が国際化された世界に対応するには良いと考えることもできる。現在の日本語と異なる文法、語彙を持つ古典を学習することが英語などの外国語の学習の入り口になる可能性があると私は考える。
現在、古典は受験に必要であるから学ぶのであって、それ以外何かの役に立つかといえば、研究者にならない限り、役には立たない。これは、文法中心の学校英語教育にも同じことが言えるだろう。しかし、英語の場合は基礎的な文法を知っていれば、その後の学習には役に立つ。英語をはじめとする外国語の習得は、国際化する今日の世界においては、キャリアアップや世界を広げるという意味で非情に重要な要素である。しかし、古典の場合は、文法を知っていることが直接国際化社会の中で役に立つかといえばそうではないだろう。では、古典教育はどのように国際化社会に貢献できるのであろうか。
古典は異なった文法、語彙とそれが書かれた時代が現在と異なるという特徴を持つ。つまり、現在とは異なる考えを持つ人...