【早稲田大学】早期選抜と教育機会の階層差

閲覧数1,551
ダウンロード数10
履歴確認

資料紹介

日本における教育は、戦前、戦後で大きく変わっている。まずその変化を述べてから、イギリスの教育改革と比較しつつ考えていきたいと思う。
 戦前の日本の中高等教育体系は、小学高等科、青年学校・中学校、実業専門学校・高等学校、大学等様々な学校が並立してきた、いわゆる複線体系をなしてきた。このような複線体系により、社会に出るタイミングとして、長短いろいろなコースに進むことができ、どのコースを出ても一人前の大人として、社会に出ることができたのである。
 これに対して戦後の日本はどうであろうか。戦後は複線式に対し、単線式と呼ばれる教育体系へと移行した。これは、中学→高校→大学というように一本のコースしかないのである。依然として実業高校、工業専門学校などがあるが、それはあくまでも補助的、付随的なものであり、単線式のコースを選択する人が多いのが事実である。それではなぜ、戦後の日本はこのような単線式を歩むようになったのだろうか。
それは教育の機会均等、つまり日本人の平等を好む考えが、このような教育を生んだのである。しかしこの単線式によって、平等が実現されたわけではないだろう。戦後行われた単線式の教育は、家庭環境に差が出ても公立、私立の違い程度にしかならなかった。しかし、大多数が同じコースを歩むため受験戦争が過熱し、それにより勝ち組、負け組をつくりだしてしまい、そのことが後々まで影響してしまうのである。そして新しい差別が生まれてしまうのである。
 イギリスの教育はどのように行われていたのか。イギリスでは、学校は次の三種類に分けられる。
1. 公立校(main tained school,国家が維持している学校)
2. 私立校(independented school,国家から独立である学校)
3. 助成校(direct grant school,私立校であるが国家から助成金をもらっている学校)
 ここで注目すべきは、3の助成校である。

資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

教育社会学B 早期選抜と教育機会の階層差
日本における教育は、戦前、戦後で大きく変わっている。まずその変化を述べてから、イギリスの教育改革と比較しつつ考えていきたいと思う。
 戦前の日本の中高等教育体系は、小学高等科、青年学校・中学校、実業専門学校・高等学校、大学等様々な学校が並立してきた、いわゆる複線体系をなしてきた。このような複線体系により、社会に出るタイミングとして、長短いろいろなコースに進むことができ、どのコースを出ても一人前の大人として、社会に出ることができたのである。
これに対して戦後の日本はどうであろうか。戦後は複線式に対し、単線式と呼ばれる教育体系へと移行した。これは、中学→高校→大学というように一本のコースしかないのである。依然として実業高校、工業専門学校などがあるが、それはあくまでも補助的、付随的なものであり、単線式のコースを選択する人が多いのが事実である。それではなぜ、戦後の日本はこのような単線式を歩むようになったのだろうか。
それは教育の機会均等、つまり日本人の平等を好む考えが、このような教育を生んだのである。しかしこの単線式によって、平等が実現されたわけではな...

コメント2件

yurika5 購入
参考にします。
2007/03/09 14:03 (18年前)

asym 購入
とても参考になりました。
文の構成も分かりやすいです。
2007/08/17 17:18 (17年7ヶ月前)

コメント追加

コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。