1979年以降の中国農村経済の動向について

閲覧数1,996
ダウンロード数8
履歴確認

    • ページ数 : 1ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     1987年12中共11期3中全会において、農業の発展の速める問題についての決議(草案)が採択された。それにより、中国は、毛沢東時代の集団経営から農業生産請負制(土地を農家に請け負わせ、個別に経営させる)に転換し、農民は余った作物を自由に販売できるようになった。また、政府が食料買い上げ価格を引き上げ、農民の経営範囲に関する規制も緩めた結果、比較的農業生産量も上がった。しかし、85年からそれまで上がり続けていた生産量が落ち始めている。1984年10月、都市経済体制改革に関する決定が行われ、改革の重点が農村から都市に移ったために、国家の農村投資が減ってしまったのである。
     78年の改革以来、農村部では郷鎮企業が急増し、農業以外の収入も増えたが、食料買い上げ価格を引き上げていた78年〜84年と92年〜96年以外は、農民の収入増は微々たる物であった。収入が伸びない理由のひとつは農産物の価格の下落がある。そしてもうひとつは、非農業分野における農民の雇用減にある。これは、農村にある郷鎮企業が国内の需要不足とアジア金融危機が招いた輸出不振の影響を受けたことによる。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    1979年以降の中国農村経済の動向について
     1987年12中共11期3中全会において、農業の発展の速める問題についての決議(草案)が採択された。それにより、中国は、毛沢東時代の集団経営から農業生産請負制(土地を農家に請け負わせ、個別に経営させる)に転換し、農民は余った作物を自由に販売できるようになった。また、政府が食料買い上げ価格を引き上げ、農民の経営範囲に関する規制も緩めた結果、比較的農業生産量も上がった。しかし、85年からそれまで上がり続けていた生産量が落ち始めている。1984年10月、都市経済体制改革に関する決定が行われ、改革の重点が農村から都市に移ったために、国家の農村投資が減ってし...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。