50年に及ぶ戦後の同和教育史を総括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
⇒同和問題に対して国が配慮をするようになったのは1932年のことであった。当時の文部省が融和対策として、農業恐慌によって貧窮を極めていた、被差別部 落の農民を救済するための施策を行ったのが始まりである。しかし、戦争によって全ての教育が軍事主義に染められ、同和教育もまたその中に埋没していく運命 をたどったのである。そして1945年、太平洋戦争に敗れた日本は国家の再建に向けて歩みだし、1947年5月に日本国憲法が施行された。14条では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と記された。この「社会的身分」という文言によって、政府は被差別部落の人々が差別されないという理念を明文化した。「同和・人権教育」は、まさにこの理念の実践化といっても過言ではない。
戦後になると、同和教育は一部の教師による自主的な教育活動として取り組まれた。そして1946年、非民主的な同和問題、を解...