歴史学 分冊2 アタテュルク・ヌルスィー:トルコ近代史

閲覧数2,435
ダウンロード数26
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    トルコという国は、欧州とアジアの中間に位置し、紀元前のローマ帝国時代には地中海を制するなど長きにわたってオリエント世界の中心として栄えた国である。しかし、16世紀のオスマン帝国スレイマン大帝時代に全盛期を見せて以降は、ヨーロッパ諸国に文化の面で後れを見せだした。19世紀までの時代にはギリシアやエジプトが独立してゆくなど、領土は激減し衰退の一途を辿っていた。さらに20世紀にはいってからは、とどめを刺すかのようにオスマン・トルコが味方をしたドイツを中心とする枢軸国側が第一次世界大戦で敗戦を喫した。オスマン・トルコは連合国側に分割されかけたが、軍人で政治家のムスタファ=ケマル=アタテュルクの外交と戦略によってこれを逃れた。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    トルコという国は、欧州とアジアの中間に位置し、紀元前のローマ帝国時代には地中海を制するなど長きにわたってオリエント世界の中心として栄えた国である。しかし、16世紀のオスマン帝国スレイマン大帝時代に全盛期を見せて以降は、ヨーロッパ諸国に文化の面で後れを見せだした。19世紀までの時代にはギリシアやエジプトが独立してゆくなど、領土は激減し衰退の一途を辿っていた。さらに20世紀にはいってからは、とどめを刺すかのようにオスマン・トルコが味方をしたドイツを中心とする枢軸国側が第一次世界大戦で敗戦を喫した。オスマン・トルコは連合国側に分割されかけたが、軍人で政治家のムスタファ=ケマル=アタテュルクの外交と戦略によってこれを逃れた。アタテュルクはオスマン・トルコのスルタン(王)を退位させ、現在に繋がるトルコ共和国を樹立し、初代大統領に就任した。
     アタテュルクは世俗化こそがイスラム世界を文明化させる手段と考え、憲法からイスラム教を国教とする旨を削除する憲法改革、アラビア語をラテン語に改める文字改革、イスラム教国でありながら宗教的な服装である男性のターバンやトルコ帽を禁じ、女性のベールも規制するなど、一...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。