ロボットやコンピューターなどの機械が心をもつということは果たして可能なのだろうか。これは、ロボットに自発的に心が備わることがありえるだろうか、もしくは人工的に人間の心を作るということは技術的に可能なのだろうか、という問いから、そもそも心とは何か、という問いにまで至り、心理学・哲学・認知科学・医学など多岐の分野に渡って論争が繰り広げられている。「心をもつ」という言葉についてのさまざまな解釈をもとにしたいくつかの主張について考察してみたい。
ロボットやコンピューターなどの機械が心をもつということは果たして可能なのだろうか。これは、ロボットに自発的に心が備わることがありえるだろうか、もしくは人工的に人間の心を作るということは技術的に可能なのだろうか、という問いから、そもそも心とは何か、という問いにまで至り、心理学・哲学・認知科学・医学など多岐の分野に渡って論争が繰り広げられている。「心をもつ」という言葉についてのさまざまな解釈をもとにしたいくつかの主張について考察してみたい。
まず一つ目の主張は、ロボットが心をもつことは可能であるという主張だ。現在、ロボットの心について論じる人々の多くが、この可能性に目を向けているように思う。とはいえ、大抵の人が「機械=心がない」と思っているからこそ、このような主張が多く生まれてくるわけで、不可能だという主張に対して数が多いのは当然だといえるだろう。その根拠は実にさまざまだが、理想論的なものは抜きにして、科学的根拠のあるものを取り上げてみたい。
信原幸弘は「心の目的論的理論」を掲げ、心を人為的に作ることは可能だと主張する。目的論的理論とは、心的状態をそれの目的論的機能と心的因果連関における機...