今期の講義では、アダム・スミス、ルソー、コンドルセそれぞれの経済倫理観について学んだ。
近代から現代社会にかけて拡大した市場経済は、一見すると倫理から程遠いシステムであるだろう。市場に上る誰もがそれぞれの欲求・利己心に基づいて行動するのであるから、市場経済が発展することは利己心(私悪)を生かし成長させ、道徳を腐敗させることであるようにも思われる。
「近代人の行動は利己心に基づき各個人の幸福を追求した結果である」という考えが、近代商業社会の中で経済と倫理の成長と衰退を重く見たアダム・スミス、ルソー、コンドルセ三者に共通したものであった。
とは言え、「利己心(あるいは自己愛)」そのものについての考え方が三者三様に異なっていた。
アダム・スミスの考え方は、「利己心は利己心を以って抑える」というものである。各個人が持つそれぞれの「利己心」の中には「他人の共感(観察者の同感)を得たい」という欲望も含まれており、その他人(観察者)を神や国や友人ではなく、利害関係のない第三者つまり見知らぬ誰かに置くことによって、誰かが見ているからといったその場限りの理由からではなく、ただ欲望そのままの行動を取るというただの利己心が鳴りを潜めて真の良心が育まれる。そして、その「利己心」こそが調和的なマーケットを生み出し、自由市場経済を発展させるのである。
一方、ルソーは「自己愛は別の感情(哀れみ・憐れみ)を以って抑える」と考えた。他人の苦しみを自分のことのように感じることで、単に欲求に従って行動することを控える、というものである。この場合、自己愛は利己心とは異質のものであり、その中には「種全体の相互保存への協力」が自然に含まれていると考えた。ルソーは共感によって自己愛を抑制すると考えたが、この共感とは他人の苦しみ・痛みを共有するということである。
経済倫理と公共性
今期の講義では、アダム・スミス、ルソー、コンドルセそれぞれの経済倫理観について学んだ。
近代から現代社会にかけて拡大した市場経済は、一見すると倫理から程遠いシステムであるだろう。市場に上る誰もがそれぞれの欲求・利己心に基づいて行動するのであるから、市場経済が発展することは利己心(私悪)を生かし成長させ、道徳を腐敗させることであるようにも思われる。
「近代人の行動は利己心に基づき各個人の幸福を追求した結果である」という考えが、近代商業社会の中で経済と倫理の成長と衰退を重く見たアダム・スミス、ルソー、コンドルセ三者に共通したものであった。
とは言え、「利己心(あるいは自己愛)」そのものについての考え方が三者三様に異なっていた。
アダム・スミスの考え方は、「利己心は利己心を以って抑える」というものである。各個人が持つそれぞれの「利己心」の中には「他人の共感(観察者の同感)を得たい」という欲望も含まれており、その他人(観察者)を神や国や友人ではなく、利害関係のない第三者つまり見知らぬ誰かに置くことによって、誰かが見ているからといったその場限りの理由からではなく、ただ欲望そのま...