平城と城下町
~いわきの歴史と空間的推移~
1.前書き
私の出身高校である磐城桜ヶ丘高校(旧磐城女子高校)はいわき駅から歩いて15分ほどの高台に位置している。ちょうどそれは、いわき市街を見下ろすことができ、また、なんとなく切り離された高台であると高校時代思ったものである。ここ平は城下町であったことは知識としては知っていても、今は見る影もないこの街に、その実態を見出せずに何年も過ごしてきたが、これを機会に平城とその城下町について調べることにした。
以下、文章は添付した地図1(江戸中期ごろのもの)と地図2(現在の主要道路などを書き足したもの)に対応している。(色、番号)や、写真番号(撮った場所と方角を印した)は地図をみてほしい。
2.平城築城とその最後
(城の歴史についてごく簡単に触れておく。)
築城
慶長7年(1603年)、鳥居忠政は磐城城主となるや、新城を赤目崎物見が丘に築いた。築城に関しては、江戸、三河の技術者を呼び、安土、大阪の両名城を参考にして、天然の要害に二重の濠を廻らした近代的城郭にしあげた。平山城、天守はなかったが、広大な外濠は、現在のいわき市平の本町にまでおよんでいたとい...