三歳児神話は母親だけの問題なのか

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    資料紹介

    私は本講義において「母性」に興味を持ち、レポートでこのテーマを取り上げようと考えた。そこで、「母性神話」や「3歳児神話」と呼ばれるものの存在を知った。「母性神話」とは、「女性にはもともと、母性が備わっている」、「子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」というようなものである。つまり、「女性にとって、母性は本能である」、そして本能であるがゆえに「女性は常に母性を感じている」ということなのだろう。そして、「3歳児神話」とは、「子供は3歳頃まで母親自身の手元で育てないとその子供に悪い影響がある」という考えのことである。ここで私は「3歳児神話」において、子供と向き合い、愛情を注ぐのは母親だけがすればよいのか、さらに3歳までの環境がそんなに重要なのかと疑問を持った。

    資料の原本内容

    三歳児神話は母親だけの問題なのか
                      
    私は本講義において「母性」に興味を持ち、レポートでこのテーマを取り上げようと考えた。そこで、「母性神話」や「3歳児神話」と呼ばれるものの存在を知った。「母性神話」とは、「女性にはもともと、母性が備わっている」、「子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」というようなものである。つまり、「女性にとって、母性は本能である」、そして本能であるがゆえに「女性は常に母性を感じている」ということなのだろう。そして、「3歳児神話」とは、「子供は3歳頃まで母親自身の手元で育てないとその子供に悪い影響がある」という考えのことである。ここで私は「3歳児神話」において、子供と向き合い、愛情を注ぐのは母親だけがすればよいのか、さらに3歳までの環境がそんなに重要なのかと疑問を持った。 
     大日向氏は3歳児神話について3つの要素があると述べている。それは「第1の要素は、子どもの成長にとって3歳までが非常に大切だという考え方。第2の要素は、その大切な時期だからこそ、生来的に育児の適性を持った母親が養育に専念しなければならないという考え方。そして第3の要素は、もし母親が働く等の理由で、子どもが3歳まで、あるいは就学前ぐらいまでの時期を育児に専念しないと、子どもはとても寂しい思いをして、将来にわたって成長にゆがみをもたらすという考え方。」(大日向、2000)である。第1の要素においては、心身が急激に発達し、自己を確立し、周囲の人との関わりを学んでいく幼少期が大切な時期であることは否定してはならない。さらに大日向氏が指摘するように、この時期に様々な「愛」を子供たちは学んでいく。ここで私は、その「愛」とはどのようなものかと考えてみた。それは人から愛され、人を愛すること。そこから相手を信頼する事や自分に自信を持つことを体験することだ。私はさらに、これほどに大切な愛はたくさんの人から与えられるものではないのかと疑問を持った。3歳児神話の第2の要素である「育児の適性は女性が生来的に持っているのだから、母親が育児に専念しなければならない」という考え方には、必ずしも絶対的な根拠はないといえる。なぜなら、幼少期に与えられる愛情は、母親からだけものとは限らないからだ。母親も愛情を注ぐことはもちろん必要である。しかし、母親以外の人、父親や祖父母、先生や地域の人々も愛を子供に注ぐことは可能であり、実際に多くの人々が子供たちに愛情を注いでいる。
     そして、3歳児神話の第3の要素である、母親が育児に専念しないと子どもの発達が歪むのか否かという点について考えてみる。大日向氏が務めていた大学での講義の、3歳児神話について議論内容を見てみると、母親の性格や、子供を取り巻く環境によることがわかった。ある学生は、「母親が働きに出ていて寂しかった」と述べている。一方、他の学生は「母親が働きに出だしてほっとした」と述べている。彼女の幼いころの母親のイメージは、「いつもイライラしている。」「勉強ばかりさせる。」というものであった。彼女の母親は結婚、出産を機に家庭に入ったようだ。しかし、元々は仕事が好きな女性であったらしい。うまく子供を育てようという責任意識と現実とのギャップや、家庭に閉じこもっていることからくるストレスを、苛立ちだけでなく、教育熱心になるということで発散させていたようだ。このような例は、仕事など、今までの自分が持っていたものをすべて捨てて、母親になった女性にありがちな傾向だと大日向氏は述べている。(大日向、2000)さらに、議論で彼女は「母親が家にいるときは息苦しかった」、「子どもが『ただいま』と帰ってきたとき、母親が家にいるべきだとよくいわれるけれど、私は生き生きと働いているお母さんを見るほうがずっと楽しかった」とも述べた。
    このような、2人の学生からの両極端な意見からわかることは、母親の労働が子供に与える影響は一様ではないということだ。子供とは、周囲の人たちと、様々な関係を作りながら育っていく。母親との関係も大切ではあるが、他の人との関係も同じくらい大切なものである。本当に大切のことは、「母親かどうか」ということよりも、周囲の人たちがその子と、どんな関係を作って生きていくのかということだ。また、なるべく多くの人が子供と関わっていく方が、その子も幅広く、様々なものを受け取り、学ぶことができるのではないか。
    さらに、子育てに遅すぎるということはないのではないか。3歳までに完璧に子供を育てあげていないと、後々とんでもないことになる、ということはあり得ないのではないか。もしこの「3歳児神話」が事実なら、何らかの理由で赤ちゃんのときに母親と別れた人や、幼いころから母親が働いていたという環境で育った人は全員、歪んで育ち、とんでもない人生を送るということになる。しかし、専業主婦が当然だった一昔前の社会でも犯罪者や、常識を逸脱している人は存在していた。現代においては、犯罪の理由や心の病気や問題、人格の形成や変化が、多くは思春期や成長してからの出来事が原因である。よって、3歳になるまで母親がそばにいるかどうかがその子を歪んだ人間に育ててしまうということは、直接的な関係がないと考えられる。
    よって、「幼少期に母親が働くと子どもの発達が歪む」と単純に言うべきではない。しかし、それは「親はどんな働き方をしても問題がない」という意味でもない。つまりそれは、子供の発達を母親が働くか働かないかということだけで議論するべきではないということだ。さらに、単に女性だけの問題として捉えるべきでもない。私は、今回のレポート作成を通して、子育ては周囲の人々や家族の理解と協力が必要不可欠であると感じた。さらに、子育ての問題は母親の就労環境や子供を育てる環境など、広く社会全体の問題として取り組んでいく必要があると考えている。
    <参考資料>
    大日向雅美『子育てと出会うとき』1999年、NHKブックス
    大日向雅美「連載 母性愛神話を問い直す」『こころの科学』第82号、1999、日本評論社

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