この本は予備校生が書いた小論文をまとめたものだそうだが、私は最初、あまり読んでみたいと思わなかった。小論文という短い文章の中で、十八歳の若者がどんなことを考え、どんなことを伝えようとしているのかに興味が無いこともなかったが、私は高校生の頃から小論文というものがどうも苦手だった。「論文」と聞くと、堅苦しい印象を受けてしまい、読む気にも書く気にもならなかったのだ。学校で強制的に書かされた作文や小論文などは、その場しのぎで嫌々書いていたため、十八歳の頃の自分がどんなことを考えていたのか知ろうとしても、十八歳のありのままの気持ちが残された文章が存在しないのである。
「十八歳」という年齢はもう戻っては来ない。十八歳とは大人とも子供とも言い難い微妙な年頃である。今考えると、いろいろな悩みや考えを抱く多感な時期に、ありのままの想いを文章として残しておかなかったことはとても勿体無いように思える。そこで、自分にもあったはずの「十八歳の頃の気持ち」を思い出したいと思い、この本を読み始めた。
読んだ。読み終わってまず感じたことは、どの文章にも十八歳の若者たちの想いがありのままに表れているということだ。一旦読み始めると、書いた人の率直な想いが伝わってきて、すらすらと読むことができた。
できるだけ十八歳のありのままの気持ちを受け止めようと、真っ白な気持ちで読んだつもりだが、本に載っている文章の中には、共感できるものもあれば、「それは違うのでは?」と思うような共感できないものもあった。共感するのが難しい原因には、「年齢」というものの違いが大きいと思われる。私は現在二十歳だが、これらの文章を書いた人たちは十八歳である。十八歳という年齢は近いようで遠い。就職や進学などで親元を離れるなどの環境の変化があったり、十代から二十代になることで自分の中で心の変化が起きたりするものだ。
「十八歳・等身大のフィロソフィーを読んで」
この本は予備校生が書いた小論文をまとめたものだそうだが、私は最初、あまり読んでみたいと思わなかった。小論文という短い文章の中で、十八歳の若者がどんなことを考え、どんなことを伝えようとしているのかに興味が無いこともなかったが、私は高校生の頃から小論文というものがどうも苦手だった。「論文」と聞くと、堅苦しい印象を受けてしまい、読む気にも書く気にもならなかったのだ。学校で強制的に書かされた作文や小論文などは、その場しのぎで嫌々書いていたため、十八歳の頃の自分がどんなことを考えていたのか知ろうとしても、十八歳のありのままの気持ちが残された文章が存在しないのである。
「十八歳」という年齢はもう戻っては来ない。十八歳とは大人とも子供とも言い難い微妙な年頃である。今考えると、いろいろな悩みや考えを抱く多感な時期に、ありのままの想いを文章として残しておかなかったことはとても勿体無いように思える。そこで、自分にもあったはずの「十八歳の頃の気持ち」を思い出したいと思い、この本を読み始めた。
読んだ。読み終わってまず感じたことは、どの文章にも十八歳の若者たちの想い...