太古より日本は海に囲まれた島国であった。そのため海の外からの接触があると歴史は大きく揺れ動くことになると言っても過言ではない。日本の歴史上初めて外部からの大きな影響を受けることになった「モンゴル来襲」について日本がどのように時代が動いたかについて述べていくことにする。
当時、ユーラシア大陸からアジア圏において広範囲に勢力を築いていたモンゴル帝国からの国書が日本に届いたことから始まる。その国書の内容だが、日本に対する降伏勧告としての意味合いがこれまでの定説とされている。しかし、貿易などでお互いの国から行き来しているので、当初の予定では国家間でも交流を繋げることが最大の目的であったと考えられる。また、国書の最後に「不宣」とあることからもフビライは中国大陸を統一することにより、東アジアの中で対内外にフビライ自身の地盤を確立することが目的ではなかったのだろうか。
フビライ自身が広大なモンゴル帝国の中で、「モンゴル第一主義」を主張している一派の強硬な姿勢と必ずしも合致しなかったことや、ハーンとしての地位を相続するにあたっての内乱などの為、その影響は東アジア方面にしか強く反映されていなかったから...