1.株主総会はなぜ「形式」でしかないのか。また、日本ではなぜ形骸化しているのか。
株主総会が「形式」でしかないのは、ひと言で言ってしまえば、一株一票の原理があるからである。この原理は、議決を一人一票ではなく一株一票にすることで、議決権を大株主に集中させているものである。その結果、あえて議決をする必要も無く、大株主が議案にとりたてて問題の無い限り議案に賛成するので、中小株主の意見が経営に反映することもなくなってしまうのである。そのため、結局のところ議事は、特に反対意見も無く、経営者が用意した筋書きどおりに進行していくのである。このように、株主総会が一株一票の原理に基づいている限り、形式化するのはやむをえないのである。
だが、同じ形式化された株主総会であっても、海外、特にアメリカの総会と日本のそれとは明らかに違いがある。アメリカでは、多くの企業が、たとえ形式であっても、株主総会を株主との対話の場として、そして自社のPRの場として活用している。これに対し、日本では、近年このような動きが見られるものの(例えば、つい先日、avexが株主総会で株主限定のコンサートを開くなどしていた)、依然として株主総会は形骸化している。これは、日本の古くからの株主総会の、さらに言ってしまえば企業の体制に問題があるからである。日本の株主総会は、ごく最近まで経営者と総会屋の話の場でしかなかった。総会屋には経営者を追及するタイプと経営者に取り入るタイプとがいるが、どちらの場合にしろ、純粋な個人株主ではないことは確かである。こうした総会屋の動きは、1982年の商法の改正によって規制されたものの、依然として残っていたのである。表立っては商法により規制されているが、その分、法律の裏でより巧妙な手口で総会屋は活動を続けていた。
では、このような形骸化の原因である日本の企業の体制とはどんなものだろうか。
1.株主総会はなぜ「形式」でしかないのか。また、日本ではなぜ形骸化しているのか。
株主総会が「形式」でしかないのは、ひと言で言ってしまえば、一株一票の原理があるからである。この原理は、議決を一人一票ではなく一株一票にすることで、議決権を大株主に集中させているものである。その結果、あえて議決をする必要も無く、大株主が議案にとりたてて問題の無い限り議案に賛成するので、中小株主の意見が経営に反映することもなくなってしまうのである。そのため、結局のところ議事は、特に反対意見も無く、経営者が用意した筋書きどおりに進行していくのである。このように、株主総会が一株一票の原理に基づいている限り、形式化するのはやむをえないのである。
だが、同じ形式化された株主総会であっても、海外、特にアメリカの総会と日本のそれとは明らかに違いがある。アメリカでは、多くの企業が、たとえ形式であっても、株主総会を株主との対話の場として、そして自社のPRの場として活用している。これに対し、日本では、近年このような動きが見られるものの(例えば、つい先日、avexが株主総会で株主限定のコンサートを開くなどしていた)、依然として株...