1960年は安保の年だった。新中間層が岸内閣の非公開政治、冷戦重視、権力志向の体質を忌避したことから大規模なものになった。岸内閣の退陣は政治指導層における戦前との決別であった。また、1960年は三池の年でもあった。三池が終わったときに一応の清算を迫られたのは甘えを伴っていた労使双方の古い体質であった。安保と三池は1960年代の日本経済近代化への通過儀礼であった。この騒乱を通り抜けて、過激派と高度成長の推進者であり享受者でもある新中間層の社会があらわれてくる。それは高度成長で日本経済が完全雇用に近づき、二重構造が解体にむかったことの社会的帰結であり、思想的には国権主義と階級主義の衰退と表裏している。
1960年はまた、所得倍増の年である。これは国民生活水準の向上、完全雇用の達成のための経済成長を目標とし、経済成長を肯定している。成長力の源泉は、民間企業の自由な活動にある。国民所得倍増計画そのものは厳密な新古典派総合の立場をとっているのは特徴である。
所得倍増と貿易自由化」
1960年は安保の年だった。新中間層が岸内閣の非公開政治、冷戦重視、権力志向の体質を忌避したことから大規模なものになった。岸内閣の退陣は政治指導層における戦前との決別であった。また、1960年は三池の年でもあった。三池が終わったときに一応の清算を迫られたのは甘えを伴っていた労使双方の古い体質であった。安保と三池は1960年代の日本経済近代化への通過儀礼であった。この騒乱を通り抜けて、過激派と高度成長の推進者であり享受者でもある新中間層の社会があらわれてくる。それは高度成長で日本経済が完全雇用に近づき、二重構造...