バブル問題が処理できなかったのは、銀行経営者と金融当局の能力、意識、モラルといった内面的問題が原因であった。その観点からみると、九十年代には三つの時代区分があった。
? バブル崩壊の実態が明確につかめなかった「疑心暗鬼の時代」
銀行界全体がバブル崩壊のダメージを直接感じたのは、92年5月に日債銀問題が勃発したときだ。これは金融界の掟破りとして徹底的ないじめを受けた。これをみた銀行経営者は自分の関連ノンバンクや自行のメイン取引先につての金融支援を他行に要請することだけは回避しようと誓ったに違いない。だが、この意識が後の不良債権問題先送りの出発点であり、最大の要因となった。銀行は銀行界全体の状況が掴めていなかったため自行の不良債権額が突出しないよう隠匿にはしった。また、株式の含み益があることも安心感につながっていた。大蔵省の検査も甘かった。当時の金融当局の意識は、不良債権のダメージは大きそうだが、大手銀行についてはそれぞれの体力の中で十分処理できるという認識だった。また、不良債権の情報開示についても銀行性善説をとっていた。90年代前半の金融当局の幹部クラスに不良債権問題に対する危機意識が薄かったことはたしかである
住専問題の本質を見逃した「業務上過失の時代」
94年9月の東京協和信用組合と安全信用組合の破綻を機に不良債権問題の実態が徐々に明らかになっていったが、そのことが当局と銀行を問題先送りに追い込むという結果になった。この時代最大の事件は住専の破綻処理である。この住専処理は大蔵省が行政の限界を露呈するとともに、政治が金融行政に介入し、銀行経営者は身を硬くして殻に閉じこもるという負のトライアングルを形成し、不良債権処理全体を混迷させていった。このときの住専処理は大手銀行にも大きな影響を与えた。第一には大手銀行の経営者が母体行の責任を実感したことだ。
九十年代邦銀の没落」要約
バブル問題が処理できなかったのは、銀行経営者と金融当局の能力、意識、モラルといった内面的問題が原因であった。その観点からみると、九十年代には三つの時代区分があった。
バブル崩壊の実態が明確につかめなかった「疑心暗鬼の時代」
銀行界全体がバブル崩壊のダメージを直接感じたのは、92年5月に日債銀問題が勃発したときだ。これは金融界の掟破りとして徹底的ないじめを受けた。これをみた銀行経営者は自分の関連ノンバンクや自行のメイン取引先につての金融支援を他行に要請することだけは回避しようと誓ったに違いない。だが、この意識が後の不良債権問題先送りの出発...