行政法1第3課題

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    資料紹介

    中央大学2009年課題

    資料の原本内容

    法律による行政の原理の観点から、法律の規定が厳格で、要件や効果が明確で、行政権に判断・行動の余地を認めておらず、行政権は法律を執行するにとどまる場合を「き束」された状態という。しかし、行政の対象が専門技術的対応等をも含んだ決定を必要とし、法律文言を抽象的なものとしている。このことから、行政権に判断・行動の余地を認め、行政活動に裁量が認められている。この場合、行政権行使が範囲内で行われている限り、違法性の問題は生じない。裁量問題は、「法律による行政の原理」と「司法国家の原理」という行政法現象の根幹に関わる問題である。
     行政裁量の諸形態であるが、き束裁量と便宜裁量とに分けられる。き束裁量とは、何が法なるかの裁量をいい、その裁量を誤る行為は違法行為となる。便宜裁量とは、何が行政の目的に合し、公益に適するかの裁量をいい、その裁量を誤る行為は、裁量権のゆ越・濫用がない限り、単なる不当行為にとどまる。何が法であるかの裁量を誤れば、違法が生じるが、合目的性の判断を誤っても直ちには違法の問題は生じない。裁量細分化の目的は、裁量が認められている場合でも、なお、行政権が従うべき一定の限界を超えた裁量権行使は、違法なものとして、司法統制を確保し、私人の権利利益の保護を図ることにある。
     き束裁量と便宜裁量の区別をどのように行うかについては、(1)裁量の問題を行政作用に関する法的規律の箇所を中心として考察しようとする方法、(2)裁量の問題を法律の規定の実質的意味内容との関係で考察しようとする方法、に大別できる。
     (1)の方法は、き束と裁量のあり方に関する基本的な問題点を提起するものである。1)要件裁量説と効果裁量説、2)現実の行政過程ないし行政庁の判断過程に着目する説がある。
     要件裁量説とは、要件判断について認めるものである。政治的に高度な判断が要求され
    る事案や専門技術的事項に関わる事案については、この裁量が広く認められる。効果裁量説とは、要件の認定にはなく、行為をするか否かにあるとする考えである。しかし、今日の法律や条例において、要件または効果のいずれかにのみ裁量を認めるという方法はとっていなく、それぞれの法規によって定め方は様々である。
     現実の行政過程ないし行政庁の判断過程に着目する説とは、具体的な行政活動の過程な
    いし判断過程のあり方に着目し裁量のあり方を整理しようとする考えであり、行政庁の判断過程のどの箇所に裁量があるか考察する説である。この説は、裁量は、事実認定、事実認定への当てはめ、手続の選択、行為の選択、時の選択について存在しうると、行政過程を重視し、裁量問題を考察すべきとしている。
    (2)の方法は、1)専ら法規の定め方によって区別する説、2)行為の性格によって区別する説、3)法規の合目的解釈によって決定しようとする説がある。
     専ら法規の定め方によって区別する説とは、決定の要件規定の中に公益判断が含まれている場合、行為をなしうることのみを規定し、ほかに特別の規定を設けていない場合、行為を必要性の存在に係らせている場合等に裁量性が認められるとする説である。
     行為の性格によって区別する説とは、私人の権利利益を侵害することになる行政権の行
    使については、法治主義の観点から一般的にき束性や条理による拘束を認め、上記の法規の定め方によってのみ裁量性を判断する場合の難点を克服しようとする説である。
     法規の合目的解釈によって決定しようとする説とは、法律を合目的的に解釈して、一定の法規則が認められている場合をき束行為、政治的・専門技術的裁量が認められている場合を便宜裁量とするものである。
     裁量が認められる場合であっても、裁量が認められるにはその目的があり、法律の規定
    により、または条理上その行使に一定範囲が設けられることがある。この目的に違反し、範囲を超えた場合には違法性が生じることがある。これを裁量権の濫用、○越といい、司法統制が及ぶ(行政事件訴訟法30条)。
     事実認定は、行政機関に裁量が認められることはなく、裁判所による統制が完全に及ぶ。但し、事実認定に係る裁判所の能力に限界が生ずる場合には、例外的に、事実認定についても裁判所の審査が行われないことがある。
    例えば、原子炉設置許可の判断過程では、将来生ずる事象の予測を踏まえた高度な科学技術上の判断が行われるため、事実認定局面であっても行政機関に裁量が認められている。
    手続の裁量は、行政処分が行われる場合、相手方に事前に告知、弁明等の機会を与えるか否かは、制限を受ける権利利益の内容、性質や制限の程度等により決定されるべきであり、常に必ず告知や弁明の機会が与えられるとするものではない(最高裁大判平成4年7
    月1日)。しかし、事実認定等を巡る判断に関して、あらかじめ利害関係人の主張等を聴取する手続をとることが要求されることもある。このような場合に手続を履践しない時、手続が恣意や独断を疑われない公正な内容を伴わない時には、行政決定は違法となる。判例としては、個人タクシー事件(最高裁1小判昭和46年10月28日)がある。どのような場合にどの程度手続が必要かは立法的解決が求められてきたが、行政手続法制定により解決されることとなったが、同法は全ての手続的問題について提供できるわけではない。
     事実に基づいて判断するかについて裁量性が認められる場合においても、社会的相当性の範囲内でなければならない。社会観念上著しく合理性を欠く判断は許されない。判断にあたっても恣意な独断等は許されない。
     事実に基づく判断について、如何なる行為を行うか等について、裁量性が認められてい
    ると解される場合であっても、一定行為をしないことにより重大な不利益発生が確実である場合等、裁量権が収縮し、一定の行動が義務付けられる場合もある。判例としては、クロロキン事件(最高裁大判平成7年6月23日)がある。裁量権収縮の理論は何時処分することが義務付けられるかということが問題となる点では、時期の裁量問題と関連する。
     時期の裁量は、処分を何時行うかについて申請処理は法律の定めなしでも相当な期間内
    に行われるべきと要求されていた(行政事件訴訟法3条5項)。行政手続法では申請処分について処理期間の設定が努力義務とされ、処分に時間的制約が強められてきたのである。
     以上、行政活動には、専門技術的対応等を必要とし、行政活動には裁量が認められるとしている。裁量には、き束裁量と便宜裁量があり、この区別は裁量統制の理論構成であったが、行政事件訴訟法30条により、裁量行為にも司法審査が及ぶことが証明された。現
    在では裁量権の濫用・ゆ越に裁量統制理論の重要性が移行していると言える。裁量権は、法律規定等における目的に違反し、範囲を超えれば違法性が生じる。また、事実に基づいて判断するかの裁量性が認められる場合でも社会的相当性の範囲内という制約がある。裁量の問題は、行政法現象の根幹に関わる問題でもあり、また国民の権利利益の救済という観点からも重要な問題を含んでいると言える。
    参考文献等
    塩野宏「行政法Ⅰ」有斐閣、107-120頁
    行政法1 第3課題
     行政活動に裁量が認められるとき、これが違法に行われなくするためには、どのような観点に注意しなければならないか。

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