※課題4 鎌倉時代以降の著明な政治体制について述べなさい。
まず最初に鎌倉時代は、源頼朝が幕府を開いてからおよそ150年に渡って続き、1333年の新田義貞の鎌倉攻めによって幕を閉じた。そして、その150年の中でも、頼朝が存命中のはじめの18年を過ぎてからは、北条氏による執権政治の体制がとられていったのである。
頼朝の死後において、当初こそ宿老十三名による合議制が敷かれていたが、そのことによって源将軍家の権力が弱体化すると、次に幕府の中で強い発言権を持ったのは、頼朝の妻北条政子と、その父北条時政であった。時政は、頼朝の第一の重臣で、その血縁から急速に勢力を伸ばしたのである。源実朝が征夷大将軍の頃になると時政は、大江広元とともに政所の別当の職に就いていたが、ここに執権政治の始まりを見ることができる。
その後、第二代執権となったのが、時政の息子の義時である。義時は、執権としての才能にあふれており、和田義盛など敵対する者を排除する一方で、温情ある人間性でもって着実に勢力を伸ばし始めた。そして、この頃から政所の別当とともに侍所の長官も兼任するようになり、以降は、二つの役職を備えて執権と称されるよ...