マスコミュニケーションの発達といった観点で20世紀前半のメディアを考えたとき、私は授業の事例も踏まえて占領期の「映画の検閲」や「広告」に着目した。占領期における広告利用のされ方は様々である。スポーツは占領下日本の民主化促進と被占領国民の不満のガス抜きでもあった。映画の場合、新しい価値観を示す映画の奨励。つまり厳選したアメリカ映画の提供と接吻映画などの制作奨励。スポーツにおいては、アメリカ的スポーツの奨励。占領期の映画はGHQの厳格な検閲によって「操作」されているといっても過言ではない。アメリカの経済や音楽、教育、そしてスポーツを紹介することによってアメリカの価値を高め、日本人にアメリカ的な民主主義を教育していた。そのため、不都合があれば上映を厳しく取り締まっていた。「怪傑紫頭市」において、刀を一切抜かないで説得する内容であれば民主主義的なプロセスをとっていると見なされ、GHQが許可を出したという事例がとても興味深い。また、フランクキャプラの作品「スミス都へ行く」では、アメリカの民主主義を強調する作品としてアメリカ内では放映されるが、日本では「見本となるアメリカに不正が存在する」というイ...