源義経の生涯

閲覧数2,106
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    タグ

    戦後源氏天皇

    代表キーワード

    源義経の生涯戦後

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    源義経の生涯
    1159年源義朝の9男として生まれました。幼少のころは、牛若丸という名前だった。 この年の12月に平治の乱が起こる。
    保元の乱により溝を深めた後白河上皇の近臣達の争いと、源氏・平氏両家の対立が結びつき勃発した争乱。平清盛 が熊野山詣のため京を留守にしている隙をついて、藤原信頼と源義朝が挙兵。後白河院と二条天皇を幽閉し、クーデターは成功したかに見えたが、義朝挙兵の話を聞きつけた清盛が急ぎ熊野から帰京し、後白河院と二条天皇を救出。更に清盛は義朝追討の院宣を受け、内裏を占拠する義朝軍に攻撃を仕掛け、源氏軍を追い出す。拠り所を失った義朝は平氏の本拠地である六波羅に攻め入るが、激しい合戦の末に惨敗。源氏の敗北後、信頼は仁和寺に逃げ込み助けを請うも許されず、六条河原にて斬首。義朝は敗走中に家人の手にかかり殺されてしまう。この平治の乱により源氏は衰退し、平氏全盛の時代が訪れるのであった。義朝の息子・頼朝は助命され伊豆へ配流、義経 は将来僧になる約束で鞍馬寺へと預けられる。
    1174年鞍馬寺からにげ出し、奥州平泉の藤原秀衡のもとにいく。近江・鏡の宿で元服、名を「源九郎義経」とする。
    その...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。