近代においては、人間中心主義、科学万能主義が発達した。そこでは自分の身体は自分の領域であり、したがって生命の自己決定権は明確にあった。しかし、現代においては科学が進歩し、自然と人間との関わりが変化したことで、人間万能主義・科学万能主義に疑問が生じている。例えば、科学技術による環境破壊がその例である。このような状況の下では自分の身体は技術によって左右でき、自分の領域ではなくなった。したがって、自己決定権の存在が不明確になり、代わって公と私の問題が生じるようになった。すなわち、現代では自分の身体を自分の望むとおりにする(してもらう)ことができない場合が生じてきているのである。例えば、「代理母」、「遺伝子治療(遺伝子組み換え)」、「クローン人間」などの問題である。
<前提>
臓器移植の中でも、心臓や肝臓は心臓死の死体から取り出しても、移植患者に生着させることは困難である。したがって、(心臓死ではない)脳死患者からの移植が必要となる。
脳死患者で臓器移植の意思や家族の同意を得ているケースは稀であり、心臓や肝臓の移植患者のほとんどは移植待ちの状態である。
生命倫理の一般論とそれが実際に問題となる場合について
近代においては、人間中心主義、科学万能主義が発達した。そこでは自分の身体は自分
の領域であり、したがって生命の自己決定権は明確にあった。しかし、現代においては科
学が進歩し、自然と人間との関わりが変化したことで、人間万能主義・科学万能主義に疑
問が生じている。例えば、科学技術による環境破壊がその例である。このような状況の下
では自分の身体は技術によって左右でき、自分の領域ではなくなった。したがって、自己
決定権の存在が不明確になり、代わって公と私の問題が生じるようになった。すなわち、
現代では自分の身体を自分の望むとおりにする(してもらう)ことができない場合が生じ
てきているのである。例えば、「代理母」、「遺伝子治療(遺伝子組み換え)」、「クローン人
間」などの問題である。
生命倫理が問題となる事例としては、次のようなケースが想定できよう。
<前提>
臓器移植の中でも、心臓や肝臓は心臓死の死体から取り出しても、移植患者に生着させる
ことは困難である。したがって、(心臓死ではない)脳死患者からの移植が必要となる。
脳死患者で...