はじめに
不能犯に関する現在の通説である具体的危険説は、以前からその問題性を指摘され続けてきたが、その批判者である客観的危険説は、判断基準として採用するにはあまりに不明確であったために、具体的危険説の優位を崩せずにいた。しかし、ここにきて、その内容を明確化しようとする動きが盛んになってきている。本稿は、まず、具体的危険説の問題点を検討し、次いで、客観的危険説の諸説を検討し、最後に主体の不能と警官ピストル事例を取り上げる。
具体的危険説の問題点
第一に、この説は、法益侵害の危険を処罰するものではなく、行為者の意思を処罰しているのではないかという疑いがある。例えば、精巧な人形を人であると誤信して銃を撃った場合、この説によれば、一般人もその人形を人であると誤信するような状況であれば、殺人未遂が成立する(1)。しかし、この場合には、法益侵害の危険は全く発生していないのである。そうだとすると、「今日においては刑法における客観主義的見解により主観主義的なそれが克服された」(2)とは言えないのではないだろうか。
第二に、この説では危険判断を一般人を基準に行うために、不合理な結論に至る。まず、一般人が危険を感じれば、科学的に見て結果の発生が絶対にありえない場合にも、未遂犯となる。例えば、一般人がAという薬品を人に飲ませることが危険だと思えば、科学的に見てその薬品では人が死ぬことはないとしても、殺人未遂が成立する。さらに問題なのは、一般人の科学的知識が増大した場合には、不能犯となることである。ということは、ある薬品に対する知見が、何らかのきっかけで1年で広まったような場合には、わずか1年で同じ行為が、未遂犯から不能犯になってしまうのである(3)。
不能犯
はじめに
不能犯に関する現在の通説である具体的危険説は、以前からその問題性を指摘され続けてきたが、その批判者である客観的危険説は、判断基準として採用するにはあまりに不明確であったために、具体的危険説の優位を崩せずにいた。しかし、ここにきて、その内容を明確化しようとする動きが盛んになってきている。本稿は、まず、具体的危険説の問題点を検討し、次いで、客観的危険説の諸説を検討し、最後に主体の不能と警官ピストル事例を取り上げる。
具体的危険説の問題点
第一に、この説は、法益侵害の危険を処罰するものではなく、行為者の意思を処罰しているのではないかという疑いがある。例えば、精巧な人形を人であると誤信して銃を撃った場合、この説によれば、一般人もその人形を人であると誤信するような状況であれば、殺人未遂が成立する(1)。しかし、この場合には、法益侵害の危険は全く発生していないのである。そうだとすると、「今日においては刑法における客観主義的見解により主観主義的なそれが克服された」(2)とは言えないのではないだろうか。
第二に、この説では危険判断を一般人を基準に行うために、不合理な結論に至る。...