コモンローとエクイティー

閲覧数4,524
ダウンロード数29
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    1.コモン・ローの体制とエクイティの誕生
     13世紀末葉までに、王会の小会議から三つの国王裁判所が分離独立した。それが、王座裁判所、民訴裁判所、財務裁判所である。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    1.コモン・ローの体制とエクイティの誕生
     13世紀末葉までに、王会の小会議から三つの国王裁判所が分離独立した。それが、王座裁判所、民訴裁判所、財務裁判所である。
     各裁判所は当初、それぞれ固有の領域をもっていた。つまり、民訴裁判所では民事事件を、財務裁判所は租税事件を、そして、王座裁判所は刑事事件および、国王の治安の侵犯をも広く含む意味で、若干の民事事件をも管轄権としていた。しかし、やがて各裁判所はその領域の拡大を図り、中世期の終了する以前には、原告はこれら三つの裁判所のいずれをも選択することができ、どの裁判所も事件を同一の法則にのっとって、同一に処理するようになっていたのである。
     これらの裁判所が運用していた法は、一部は伝統的な法であり、一部は制定法であった。
     コモン・ローという言葉は制定法でない法であって、イギリス全土・イギリス人全体に共通な法を意味したのである。
     コモン・ローは救済の体制であり、令状の体制でもあった。コモン・ロー裁判所に訴を提起するには、実際に救済の方法(令状)が、その権利侵害に対して存在するかどうかということが問題であった。
     頻繁に発生する事件(当然令...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。