「日本の行政官僚制」
戦前の日本を見ると、政治的な環境が不確かなものだったためか、日本における官僚制は「特定の権限と特定の目標に忠誠を尽くす集団を必要とした」という。環境条件の不確定性の少ない中では官僚制は政治の道具として機能し、専門化の集合として発展すれば良かったのであろうが、日本では官僚制と産業政策が関連付けられて動いたということもあり、個別組織志向という性格も有したのである。ここで日本の行政官僚制についていえるのは、本書にも書いてあるとおり活動が過剰気味であるということである。日本は省庁組織において決定権が下方に分権化しているボトムアップ型であることで、トップ・レベルは決定権の行使の際に下層から情報やエネルギーを動員しなければならない。つまりキャリア組制度というトップ・レベルが2、3年で職位を変える仕組みの中では、ノンキャリと呼ばれる有資格者組ではない課長補佐以下の下層に判断力を依存せざるを得ないということである。結局は、最大動員のシステムに必要なリソースが充分でないのにも関わらず過剰に動かそうとすると、上が決定しその仕事を分割し部下に割り当てるというトップダウン型では、下層部が取り扱う情報が限られてしまうため、必然的にその過剰な活動量は保障できなくなってしまう。つまり、ノンキャリを動員しやすいようにするがために、分権化の限界は考慮に入れずにキャリア組制の人事システムを採用しているのではと考える。
また、「部下の自発性と創意がリーダーシップを不要にする」という解釈には疑問を感じる。たしかに環境が不安定であった日本の行政においては、上も下も一丸となって動くことは必要でありその環境が生み出した重要な傾向であったかもしれないが、いくらボトムアップ型であってもその上にリーダーシップの力があることで初めて機能するのだといえる。
村松岐夫 「日本の行政」(中央公論社)
「日本の行政官僚制」
戦前の日本を見ると、政治的な環境が不確かなものだったためか、日本における官僚制は「特定の権限と特定の目標に忠誠を尽くす集団を必要とした」という。環境条件の不確定性の少ない中では官僚制は政治の道具として機能し、専門化の集合として発展すれば良かったのであろうが、日本では官僚制と産業政策が関連付けられて動いたということもあり、個別組織志向という性格も有したのである。ここで日本の行政官僚制についていえるのは、本書にも書いてあるとおり活動が過剰気味であるということである。日本は省庁組織において決定権が下方に分権化しているボトムアップ型であることで、トップ・レベルは決定権の行使の際に下層から情報やエネルギーを動員しなければならない。つまりキャリア組制度というトップ・レベルが2、3年で職位を変える仕組みの中では、ノンキャリと呼ばれる有資格者組ではない課長補佐以下の下層に判断力を依存せざるを得ないということである。結局は、最大動員のシステムに必要なリソースが充分でないのにも関わらず過剰に動かそうとすると、上が決定しその仕事を分割し部下に割り...