■日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響
日露戦争は、1904年2月6日に始まり、1905年9月5日に終息した、極東における南下政策を進めるロシアと、朝鮮半島における影響力確保を図る日本が戦った戦争である。
不凍港を求めていたロシアは、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約により、バルカン半島への南下政策を前進させたが、ベルリン会議で破棄され、ベルリン条約が締結され、南下を断念し進出の矛先を極東に向けた。
1894年、日本は日清戦争に勝利し下関条約を締結したが、ロシア・フランス・ドイツの三国干渉によって、遼東半島を清に返還した。ロシアは、日本が手放した租借権を得て遼東半島へ進駐、旅順にロシア太平洋艦隊を配置した。これにより日本における対露感情が悪化し、民衆は臥薪嘗胆というスローガンの下に富国強兵政策が推進された。
19世紀後半、欧米列強は資源や市場を求めてアジアやアフリカへ経済進出し、軍事力によってこれらの地域を植民地としていった。「ねむれる獅子」と呼ばれていた清が日本に敗れると、列強は次々に清に進出し、鉄道や鉱山開発の権利を獲得した。清国内では、列強の動きに反対し...