戦後の野球とマンガ
戦前、子どもマンガにおいてスポーツ物というジャンルはまだ生まれていなかったが、主人公たちが野球をするエピソード、小道具としてのバットやグローブ、野球ネタの笑いなどはよくみられた。「のらくろ」を始め、動物たちは野球を楽しんだし、「冒険ダン吉」が南の島の先住民たちの背中に番号をつけるというエピソードも野球の背番号からの発想だった。だが、戦争への突入という時代の変化にいち早く対応せざるをえなかったのは児童雑誌だった。非常時にふざけたり、笑ったりしてはならないと、マンガは誌面から消えていき、同時に敵性(アメリカ)スポーツの野球もとりあげられることはなくなった。
マンガが、そして野球が甦るのは戦後すぐだった。昨日までもてはやされていたものがダメになり、禁止されていたものが解放されるという反転。そしてマンガと野球は一気に子どもたちに愛される存在へと変わっていったのである。粗末なオモチャ本的なマンガの中でも、野球は取り上げられていた。なといってもそれは新しい支配者アメリカが喜んで認めた、アメリカを体現するスポーツだったからだ。
戦後ストーリーマンガは手塚治虫の「新宝島」(育英出版社)からスタートしたということに疑いをはさむ者はいない。しかし、忘れてならないのは、同年、つまり四七年、「サザエさん」(長谷川町子)と「バットくん」(井上一雄)の連載が始まっているということだ。今なテレビアニメで高い人気を誇る国民的家庭マンガと野球マンガは、戦後マンガの大本とされる手塚治虫とは全く別の場所から立ち上がり、同じ時期、読者の支持を得ていったのである。
野球マンガのはじまり
戦後初の、いや、野球マンガの始まりとされている「バット君」は1947年末創刊された『漫画少年』(学童社)と共に連載が始まった。
野球とマンガ
戦後の野球とマンガ
戦前、子どもマンガにおいてスポーツ物というジャンルはまだ生まれていなかったが、主人公たちが野球をするエピソード、小道具としてのバットやグローブ、野球ネタの笑いなどはよくみられた。「のらくろ」を始め、動物たちは野球を楽しんだし、「冒険ダン吉」が南の島の先住民たちの背中に番号をつけるというエピソードも野球の背番号からの発想だった。だが、戦争への突入という時代の変化にいち早く対応せざるをえなかったのは児童雑誌だった。非常時にふざけたり、笑ったりしてはならないと、マンガは誌面から消えていき、同時に敵性(アメリカ)スポーツの野球もとりあげられることはなくなった。 マンガが、そして野球が甦るのは戦後すぐだった。昨日までもてはやされていたものがダメになり、禁止されていたものが解放されるという反転。そしてマンガと野球は一気に子どもたちに愛される存在へと変わっていったのである。粗末なオモチャ本的なマンガの中でも、野球は取り上げられていた。なといってもそれは新しい支配者アメリカが喜んで認めた、アメリカを体...