仏教史1

閲覧数2,156
ダウンロード数6
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員770円 | 非会員924円

    資料紹介

    奈良時代の仏教の特質を論ぜよ
     奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南部六宗といわてれおり、三輪・成実・倶舎・法相・華厳・律をいう。これらは総じて聖徳太子の思想を受け、鎮護国家的性格を有していた。
     この鎮護国家というのは、仏教によって国家を鎮め護ることを指すのであるが、例えば、『仁王経』『金光明経』『法華経』という経典には、これらの経典を受持する国家は災厄を免れ、繁栄すると説かれているのである。国家から官人に準じる身分的特権を与えられた官僧・官尼は、こういった鎮護国家の教説の研究をしたり、鎮護国家の儀礼の際には経典を読誦すること、病気治療などの呪術に従事したりすることが義務づけられていた。
    とりわけ聖武天皇は、

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    奈良時代の仏教の特質を論ぜよ
     奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南部六宗といわてれおり、三輪・成実・倶舎・法相・華厳・律をいう。これらは総じて聖徳太子の思想を受け、鎮護国家的性格を有していた。
     この鎮護国家というのは、仏教によって国家を鎮め護ることを指すのであるが、例えば、『仁王経』『金光明経』『法華経』という経典には、これらの経典を受持する国家は災厄を免れ、繁栄すると説かれているのである。国家から官人に準じる身分的特権を与えられた官僧・官尼は、こういった鎮護国家の教説の研究をしたり、鎮護国家の儀礼の際には経典を読誦すること、病気治療などの呪術に従事したりすることが義務づけられていた。
    とりわけ聖武天皇は、奈良時代における仏教の鎮護国家的性格形成に大きく寄与したといわれている。自らの親族でもある藤原広嗣の反乱に動揺し、都を転転とする中で、国分寺の建設や東大寺の盧遮那仏、俗に言う奈良の大仏造立を決めている。つまり聖武天皇は、鎮護国家という考え方によって、この危難に対処しようとしたのだ。仏の加護でこの世を護ってもらい、人々の...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。