『蜻蛉日記』は、まさに作品名の通りの作品である。作者である藤原道綱母と彼女が愛した藤原兼家の関係は、現代のような日常生活を一緒に築いていく結婚生活とは多少ずれが生じていた。
当時、結婚の形態は一夫多妻制の通い婚が一般的であった。現に兼家も、時姫や道綱母をはじめとして、生涯九人の妻を持った事が知られている。そのような状況下では、多くの女性たちの生きる目的の中心は夫の存在であり、頼りとするものは夫の愛情でしかなかったのだ。
そのような社会の中で『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は、受領という貴族としてはそれほど高い生まれではなかった。しかし、非常に優れた歌才の持ち主であり、更に大変美しい人であったため、兼家に見初められた。一時は兼家にたいへん愛され、一児・道綱を産んだ。だが兼家は次々と女を作り、道綱母の元を離れていくようになる。
『蜻蛉日記』は、まさに作品名の通りの作品である。作者である藤原道綱母と彼女が愛した藤原兼家の関係は、現代のような日常生活を一緒に築いていく結婚生活とは多少ずれが生じていた。
当時、結婚の形態は一夫多妻制の通い婚が一般的であった。現に兼家も、時姫や道綱母をはじめとして、生涯九人の妻を持った事が知られている。そのような状況下では、多くの女性たちの生きる目的の中心は夫の存在であり、頼りとするものは夫の愛情でしかなかったのだ。
そのような社会の中で『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は、受領という貴族としてはそれほど高い生まれではなかった。しかし、非常に優れた歌才の持ち主であり、更に大変美しい人であったため、兼家に見初められた。一時は兼家にたいへん愛され、一児・道綱を産んだ。だが兼家は次々と女を作り、道綱母の元を離れていくようになる。それでも道綱母はただひたすらに夫が自分の所に通ってくる事を待つだけの身の上であり、これが当時の多くの女性たちの日常であった。作者にとって結婚とは常に不安定なものであり、夫を失うかもしれないという不安や悲しみ、他の女への嫉妬、怒りなどの感情に常に悩まされていたといえる...