幸徳秋水、堺利彦、木下尚江らそうそうたる名が並ぶ平民社だが、日本における社会主義の魁としての存在はじつのところ2年足らずで幕を閉じる。自由、平等、博愛を掲げた平民社が結成されたのは1903年10月27日。結社の主たる目的は、人間がつくり出した階級や差別を除去し自由を実現すること、経済的不平等を是正し平等を実現すること、軍備を全廃し戦争を廃絶して自由を実現することであった。なかでも特筆すべき活動に当時の日本が体制翼賛的に賛成していた日露戦争への社会主義者ならではのスタンスが挙げられよう。戦争に反対するほぼ唯一の新聞社として、政府の弾圧と戦いつつ非戦運動を貫いたが、日露戦争終結後の1905年10月9日財政難と政府弾圧により解散となる。
本論においては、平民社の活動中期。平民社とロシア社会民主党との交流、そして第二次インターナショナルを経て日本社会党誕生への萌芽を俯瞰する。片山内閣の基礎を築き、世界の社会主義政党史に燦然と輝く平民社の活動。日本社会党が55年体制の崩壊に伴い、93年以降の混乱で崩壊したことについては言を待たないが、現代政治上の議論も踏まえ、戦後日本政治史の源泉の一つである平民社の活動とその国際性に焦点を当てたい。
1.平民社の成立と平民新聞18号
義和団事件をきっかけとした列強の清国出兵を期に、清と朝鮮に対する利権争いがロシアと日本の間で激化。事件鎮圧後も撤兵しようとしないロシアに対し、危機感を強める帝国政府は再三にわたる外交交渉を行っていた。しかし、内政に国民の大きな不満を抱えるロシアは、食糧難や階級闘争といった焦眉の革命的情勢を解消するために外国との戦争機会を熱望しており、言を左右にして撤兵を実行しようとはしなかった。ここにいたり徳富や三宅ら文化人、新聞社を主体とし、対露弱腰外交批判が一斉に噴出。日清戦争時の三国干渉による雪辱を果たすべきと、民間挙げての強硬論が日本国内を席捲していったのである。
日本政治史 後期レポート
~ 平民社とロシア社会党 ~
【構成】
1.平民社の成立と平民新聞18号
2.第二次インターナショナル
序
幸徳秋水、堺利彦、木下尚江らそうそうたる名が並ぶ平民社だが、日本における社会主義の魁としての存在はじつのところ2年足らずで幕を閉じる。自由、平等、博愛を掲げた平民社が結成されたのは1903年10月27日。結社の主たる目的は、人間がつくり出した階級や差別を除去し自由を実現すること、経済的不平等を是正し平等を実現すること、軍備を全廃し戦争を廃絶して自由を実現することであった。なかでも特筆すべき活動に当時の日本が体制翼賛的に賛成していた日露戦争への社会主義者ならではのスタンスが挙げられよう。戦争に反対するほぼ唯一の新聞社として、政府の弾圧と戦いつつ非戦運動を貫いたが、日露戦争終結後の1905年10月9日財政難と政府弾圧により解散となる。
本論においては、平民社の活動中期。平民社とロシア社会民主党との交流、そして第二次インターナショナルを経て日本社会党誕生への萌芽を俯瞰する。片山内閣の基礎を築き、世界の社...
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