アジアは、国の大小・歴史文化・民族などが異なる多様な国々で構成されているが、現在までの半世紀で軌跡に共通性がみられる。
国としての最初の課題は、「国家統合」であった。新生国家はもともと居住する土着民族に加え、周辺地域の少数民族や中国などからの移民も国民として抱える「複合社会」が一般的であったので、地方分離運動や民族・宗教の違いによる紛争などが起こり、危機状況に置かれていた。そのため、多民族集団に政治的忠誠心をもたせる国家統合が第一課題だったのだ。
1960年代後半になると、課題は「開発」に変わっていく。理由は、経済的自立の面で、貧しい国民に生活の糧を提供することが重要であり、国家の任務の一つとされたこと。政治的自立の面では、外国への経済的依存が政治的従属につながる可能性があるため。また、安定的な政治体制を確立する上でも、豊かな国民経済は必要だった。さらに、当時のアジアは冷戦の影響で自由主義国と社会主義国に分裂しており、冷戦での勝利には経済的発展が欠かせなかった。その際、開発を効率的に進めるために権威主義的な政治体制が必要と考えた指導者は多く、権威主義体制と国家主導型が結合した開発パターンが誕生した。これらの特徴は「長期政権」で、野党・市民運動を厳しく抑圧した。この体制下で、アジアの国々は目覚しい成長を遂げた。
1980年代後半、「民主化」が起こる。70年代半ばにヨーロッパで起こった民主化がアジアにも伝播して起こったもので、経済発展を優先させる軍政や権威主義体制の抑圧に苦しんでいた人々は、民主化運動に立ち上がったのだった。これにより、アジア政治の基調が変化した。
1カ国目は「韓国」である。まず「国家統合」。韓国では軍人支配がこれにあたる。61年、朴少将は、政党政治家による極端な民主化・自由化が政治と社会を混乱に陥れたと主張し、クーデターで張内閣を倒した。
アジアは、国の大小・歴史文化・民族などが異なる多様な国々で構成されているが、現在までの半世紀で軌跡に共通性がみられる。
国としての最初の課題は、「国家統合」であった。新生国家はもともと居住する土着民族に加え、周辺地域の少数民族や中国などからの移民も国民として抱える「複合社会」が一般的であったので、地方分離運動や民族・宗教の違いによる紛争などが起こり、危機状況に置かれていた。そのため、多民族集団に政治的忠誠心をもたせる国家統合が第一課題だったのだ。
1960年代後半になると、課題は「開発」に変わっていく。理由は、経済的自立の面で、貧しい国民に生活の糧を提供することが重要であり、国家の任務の一つとされたこと。政治的自立の面では、外国への経済的依存が政治的従属につながる可能性があるため。また、安定的な政治体制を確立する上でも、豊かな国民経済は必要だった。さらに、当時のアジアは冷戦の影響で自由主義国と社会主義国に分裂しており、冷戦での勝利には経済的発展が欠かせなかった。その際、開発を効率的に進めるために権威主義的な政治体制が必要と考えた指導者は多く、権威主義体制と国家主導型が結合した開発パタ...