? 脱施設化をめぐる3つの国について比較する
病院中心主義から地域中心主義システムへの転換としての「脱施設化」政策の形成とそのごの転換についてアメリカ、イギリス、イタリアの比較を中心に考えてみる。
まず1950年代最も早く脱施設化政策の具体的な姿を見せ始めたのがアメリカであった。1963年、ケネディ教書により急速な脱施設化が進んだ。しかしそれは地域での生活確保への資源再投資をともなって施設化されたわけではなく、アメリカ独自の考え方である「富としての果実取得競争への参加の平等化」を前提としたものであった。つまり抑制国家と自己決定の尊重による脱施設化であったため、アメリカにおいては地域間格差、アクセス困難、精神病者のホームレス化といった事態が作りだされてしまった。こうしたアメリカの脱施設化に対し、イギリスの場合はかなり違った経緯をみせた。もともとイギリスはアメリカよりも早く1940年代初めには病院医療の開放化は始まっており、政府のコミュニティ化への関心は高かった。しかし1970年代後半まで財政投入はおこなわれておらず、病床数の削減も、アメリカに比べれば穏やかなものであった。したがっていわゆる脱施設化というよりも脱入院化といったものとして理解するほうが事実に近いといえる。このようなイギリスの変革で注目しなければならないのは、システム転換の受け皿として機能する社会保障サービスの存在である。多様なコミュニティサービスとともに、最も大きかったのは社会保障としての住宅サービスであった。住宅サービスとしてホームヘルプサービス、デイサービス、配食などの内容をもって展開してのだが、この点でアメリカとは違うということが明らかであろう。
次にイタリアであるが、イタリアの精神医療改革は国際的にみても先駆的なものであり、かつ幾つかの特徴をもっている。
精神保健福祉論
脱施設化をめぐる3つの国について比較する
病院中心主義から地域中心主義システムへの転換としての「脱施設化」政策の形成とそのごの転換についてアメリカ、イギリス、イタリアの比較を中心に考えてみる。
まず1950年代最も早く脱施設化政策の具体的な姿を見せ始めたのがアメリカであった。1963年、ケネディ教書により急速な脱施設化が進んだ。しかしそれは地域での生活確保への資源再投資をともなって施設化されたわけではなく、アメリカ独自の考え方である「富としての果実取得競争への参加の平等化」を前提としたものであった。つまり抑制国家と自己決定の尊重による脱施設化であったため、アメリカにおいては地域間格差、アクセス困難、精神病者のホームレス化といった事態が作りだされてしまった。こうしたアメリカの脱施設化に対し、イギリスの場合はかなり違った経緯をみせた。もともとイギリスはアメリカよりも早く1940年代初めには病院医療の開放化は始まっており、政府のコミュニティ化への関心は高かった。しかし1970年代後半まで財政投入はおこなわれておらず、病床数の削減も、アメリカに比べれば穏やかなものであった。し...