私は小学生の頃から教師を目指していました。高校2年生のとき、フィリピンでストリートチルドレンの子どもたちにあったことをきっかけに、青年海外協力隊として途上国で数学を教えたいと考えるようになりました。運良く大学の先輩で協力隊を志望している先輩がいて(その人は今理数科教師としてウガンダにいるのですが)、その人のおかげで協力隊という選択肢ができました。そして大学4年生のとき、理数科教師としてネパールに派遣されていた先輩と話しているうちに、外国で教師を目指すなら大学院を出ていたほうがいいと知り、進学しました。自分の勉強のために去年(修士1年次)は非常勤講師として弘前の私立の高校で数学教師をしました。しかしそのとき体調を壊しました。その後いつ具合が悪くなるか分からないという思いから、教壇に立つことが怖くなりました。今思えば教師が授業の穴を開けることは許されないという強迫観念にとらわれていたのだと思います。教師も人間なのだから体調が悪くなるときくらいあるのですが。しばらくその状態が続いた後、大学の先輩が病院に行くことを進めてくれました。どうやら、もともと弱い体質だったのにストレスなどの状況で体調を壊す結果となったようです。しばらくの間毎日薬を飲むことになった結果、お医者さんは「薬を持っていけば途上国でも大丈夫だよ」と言ってくれたのですが、JICAからは「体調の関係で」と断られる結果となりました。そうでなければ私は今派遣前の訓練中で、2ヵ月後にはタンザニアへ数学教師としての派遣が決まっていました。
さて、体調の面から青年海外協力隊を断念し、教師も辞めて教師よりは緊迫した状況の少なさそうな企業に就職しようと考えました。もちろん、企業は企業なりに責任を持って仕事をやらなければいけないし、少しのタイプミスが会社の存続に関わったりと、大変だとも思います。
就職活動を通して気づいたこと
私は小学生の頃から教師を目指していました。高校2年生のとき、フィリピンでストリートチルドレンの子どもたちにあったことをきっかけに、青年海外協力隊として途上国で数学を教えたいと考えるようになりました。運良く大学の先輩で協力隊を志望している先輩がいて(その人は今理数科教師としてウガンダにいるのですが)、その人のおかげで協力隊という選択肢ができました。そして大学4年生のとき、理数科教師としてネパールに派遣されていた先輩と話しているうちに、外国で教師を目指すなら大学院を出ていたほうがいいと知り、進学しました。自分の勉強のために去年(修士1年次)は非常勤講師として弘前の私立の高校で数学教師をしました。しかしそのとき体調を壊しました。その後いつ具合が悪くなるか分からないという思いから、教壇に立つことが怖くなりました。今思えば教師が授業の穴を開けることは許されないという強迫観念にとらわれていたのだと思います。教師も人間なのだから体調が悪くなるときくらいあるのですが。しばらくその状態が続いた後、大学の先輩が病院に行くことを進めてくれました。どうやら、もともと弱い体質だった...