幕藩制確立期の幕府政治、主に寛永期を中心として考察する。
徳川家光は二代将軍秀忠以上の大名統制策を推し進めた将軍であった。三代将軍となった家光は、“生まれながらの将軍”と見栄を切り、諸大名に対する威容は、ますます高揚し、世襲体制は強化される。家康は政権の世襲を示すのが主であり、秀忠は大名統制を強化するのが主でした。家光はさらに将軍権力の確立をはかり、一門・譜代を増強し、大老・老中・若年寄など幕閣の職制整備をし、幕府の政治機構と組織の確立に意を注いだ。
さらに全国の領地のうち、直轄領と旗本領を除いた大部分の地域を大名に分割し、大名統制の一環として、一国一城例の発布に続いて「武家諸法度」を改定強化し、参勤交代制を完成させる。「武家諸法度」は、新規城郭構築の禁、徒党・誓約の禁、私的婚姻の禁、服制、反逆人・殺害人関連規定なとの従来の基本条項が踏襲されたほか、大名の参勤交代の規定(第二条)、幕府の許可を得ないで軍を出すことの禁止(第四条)、音信・贈答・嫁取り、響応、家作の簡略化(第九条)など新規の重要な規定がある。参勤交代は、各藩の名を定期的に江戸に出仕させる江戸時代の大名統制のための制度で...